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Kingdom(日本青年館 7/27 15:00) [観劇メモ]

ハリー信者としては、出がらしでもありがたく飲んでしまうんだけど、それにしても出がらしすぎるだろうと思う。

なんと言っても、テーマが無い。まさか、王宮イコール宝塚の伝統、なんてわけないよね?

主人公が事件を通して変化するのが物語の基本。なのに、誰も変化しない。パーシバル(みやるり)は予定外に伯爵家を継ぐことになったのに、全然葛藤してない。王室とは、貴族とはって、ちょっと悩んではいるけど。ドナルド(かちゃ)にいたっては何も変化がない。

本来なら、前作のスピンオフで若き日の物語なのだから、就職して初めての事件で、自分のするべきことに目覚めた、という物語になるはずなのでは? ハリー、しっかりして〜

事件の経過自体はそれなりに楽しめたけど。

最後のほうは、ダジャレみたいなナンバーが続いて、手抜き感も。。。(逆に、後半のほうが音楽はハードボイルとでかっこよかった)

素材(役者)もいまいちだった。そもそも、かちゃは男役として大きな役をやるのは無理だと私は思う。

みやるりは演技力や濃い男役芸もばっちりなんだけど、ハリー芝居にはやや重い。苦悩する文芸もので観たいところ。とはいえ、眉間にしわ寄せたソロなんか、一気に持っていかれましたが。

そもそも、この二人を並べてどういう得があるのかな? コンビ萌えって感じじゃないし、白黒(かつての、かよこ&まとぶんとか)みたいな対比もないし、お互いの足りないところが強調されてしまう気がするの。

海乃さんはハリー芝居によくいるハキハキした働く女性。発声が良かった。わかばちゃんは貴族らしくて、芝居は重いけど、いいアクセント。(みやるりとの並びが美しすぎて、目の保養〜)

一番ハリー芝居にぴったりだったのは、すーさんだよね。シビさんかと思った。誉めすぎ?

ハワード役の貴澄くんかな? スカステの何かで面白かったので、今回コメディで使われてて良かった! ホームズ役の子も面白そう。

みくちゃんがもったいない(みやるりの婚約者役でええやん)けど、芝居を締めてくれるなあ。ちゅーちゃんの「くのいち」感(笑)。この人もなぜ使われないのか。たかちくんの芝居が上手くなってた。輝城さんもいい芝居するね。反体制活動のリーダーが今売り出し中の生徒なのかな? OSKの人(ごめん、名前忘れた)に似てる。

鳳月杏が素晴らしい。バウ主演してないの?新人公演主演も?信じられない。花組での活躍が楽しみですな。

太陽2068(シアター・コクーン 7/16 19:00) [観劇メモ(ヅカ以外)]

今から50年後ぐらい。細菌兵器だかで、太陽の光をあびられなくなってしまった、しかし知能と体力が発達した新しい人種ノクス(夜の意味)と、 今の我々と同じ人間キュリオ(骨董品の意味)が、互いに羨望しあったり、差別しあったりするという話です。

ごく簡単に譬えると、近代化された社会と、そうではない社会の対立。

しょっぱなは、差別されるキュリオの側に感情移入しそうなんだけれども、完全な村社会で頑迷で愚かしい様子が、「あー、あるある(うんざり)」っ て感じだし。そういう中で極端に暴力的な人がいて、みんなの足をひっぱるっていうのも、「あー、あるある(うんざり)」。

いろんな人がいて、ノクスになりたいキュリオの若者(若いうちに感染すれば変化することができるそうな)、ノクスになったけど後悔してしまう人、 自分はノクスを憎んでいるけれども娘はノクスにしてあげたいキュリオのおじさん、、、それぞれに感情移入できる。

設定自体はかなり突拍子もないものなんだけれども、決して荒唐無稽にならない。

ノクスになりたいキュリオの若者が初主演の綾野剛。愛嬌があって勢いがあってコメディセンスもあって、堂々たるものでした(主役以外 の役ができるかというとやや不安だが)。キュリオに興味がある、キュリオの村の門番(おまわりさん)になったノクスの若者が成宮くん。いい感じにオジサンになってきた。穏やかで冷 静で、ちょっと架空度が高くて似合ってる。この二人が、喧嘩したりしながら心を通わせていく様子の脚本がすごくいい。

そもそも、プロットそのものもすごくよくできてて、いろいろな伏線のようなものがどんどん回収されて、最後、若者二人にとって希望のある終わり方 になっていてカタルシスを感じた。(蜷川演出ではない元の演出では、それほど希望はないそうで…気になる)

もう一人初舞台の前田敦子もキュリオの若者なんだけど、こちらはいまいちでした。決して下手ではないけれども、演技の温度が低くて、すぐに平熱に 戻ってしまう感じ。のたうちまわるところなんかは見ていられない。ただ、あの年代特有の不機嫌さの混じった透明感があって、ちょっと池脇千鶴を思 い出した。

キュリオの愚かさを目の当たりにした彼女の変化こそがクライマックスに位置しているはず。観ている最中は、クライマックスの位置がちょっとずれて いる気がして若干違和感があったんだけど、後から思うと、クライマックスとして成り立ってなかったんだ。補強する ために、ニューキャラを投入して、レイプされる(未遂かも)という場面を入れたんだろうなあ…。

キュリオ側では、六平さんの強烈さが印象的。中嶋朋子は生で観るのは初めて。耐える役が似合うなあ。暴力的で足をひっぱる人の役者さん(横田栄司)が、めっ ちゃめちゃ怖かった。本気で怖かった。あと、ずっと股間をいじってる若者がいて、こちらも本気で怖かった(内田健司 普段はきっとイケメンさんなのであろ う…)。こういう人たちがいるキュリオは、本当に野蛮で多種多様で、魅力的。

一方ノクス側では、差別的でクールなNOVAの鈴木さん(山崎一)、普通にうまい。ノクス側は、今の人間よりもハイパーだってことで、ちょびっと感情移入し づらく、むしろ、架空度を期待する。で、キャンディーズの蘭ちゃんなんですよ。ほそっ、しろっ、うつくし!! 60歳近いとは思えない美しさに、 けっこうな大芝居、にょろにょろ感。こんなかっこよくて妖しい女優さんだとは知りませんでした。

舞台装置が面白くてね。舞台の床がスケルトンになってて、舞台の下(最前列から見るとちょうど正面)にノクス側の世界があるんです。青い光の柱で 支えられてるの。すごくいい席だったので、後ろからどう見えたかわからないんだけど、上は古い昭和の世界、下は近未来、とわかりやすい。そして上 の昭和のセットは、『滝の白糸』のセットと同じでした(笑)。

ノクスは黒、キュリオは白。あっちゃんの靴下は太陽の黄色。中嶋朋子の服は空の青。

元の劇団イキウメも観てみたいと思いました。

花乃トップ発表=なかったことにします宣言? [音楽学校裁判]

いつのまにやら、花乃まりあがトップになるという発表があった。

予想はしていたことだが、よく考えると、わし…、この人の芝居、中日のベルばらでしか認識してないんですが。

新人公演はよほどでないと観れないけど、東京でやってる公演は大体観てます。それで、「あまり認識してない」。それだけ、本公演で使われてないってこと。実 力を見せつける機会が少なかったってこと。この状況でトップって、おかしなことだ。

直近でトップ発表があった咲妃は、本公演ならオスカルの子供時代、『春の雪』のヒロイン、『メリーウィドウ』のヒロイン、『アリス』(正式タイトル忘れた)のドードー役と、認識 できてた。その前はあゆっち、これはもう長いキャリアがある。その前はちゃぴ? 彼女も『アリス』でヒロインやったり、本公演なら『ジプシー男爵』で娘役3 番手やったりしてた。みりおんも、本公演なら『復活』の二番手、『コードヒーロー』、『カナリア』のヒロインと満を持してだった。

ひるがえって花乃は、『風共』で何の役だった? 『モンテクリスト伯』で、『銀英伝』で何してた???

うーん…

『なかったことにしたくない』で東さんは、誰にでも暴力性はある、ということを言いたかったそうだ。いい指摘だ。だから一番問題があるのは体制で あって、96期生全員が憎いわけじゃない。花乃だってこれから実力を見せつけてくれるのかもしれない。

でも、96期生を不自然に抜擢するということは、「誰にでもある暴力性を発揮しやすい体制を支持します」「これからも維持します」という意思表示 だよね?

これって、まさに「なかったことにする」だよね???????


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花柳流の騒動。訴えられたほうが、「家元の世界に司法は介入できない」とか言ってるそうですが、音楽学校と全く同じ理屈で、ゾ~~ッとしました。普通の学校でもそういうこと言うそうです。閉鎖的な世界は、良くないね。

ベルサイユのばら(東京宝塚劇場 7/15 18:30) [観劇メモ]

前言撤回。ベルばらはもういいです。まともなはずのオスカル編をこんなにへんてこに改変されちゃうと、役者を楽しむも何もない。

見たことない場面いっぱいあったけど、昭和のベルばらにはあったのかなあ。原作にあるのかなあ。ジェローデルってオスカルの幼なじみだっけえ???

とはいえ結局は役者を観るしかないことに変わりはないわけで…。

テルオスカル、イメージと少し違うけど、芝居が素晴らしいね。こんなに変な脚本でこんなに感情移入できるとは。この人、本当に芝居の人だと思う。怒鳴ったり叫んだりしてもセリフがききやすいのもいい。退団会見で退団後はいろんなことをしたいって言ってたけど、舞台は続けるべきだと思う。

キタロウアンドレ、さすがにスターさんとしてただ銀橋渡るだけだと場が持たないけど、芝居の一環だと一気に心をつかむ。泣かせる。そしてあったかい。いつまでも心に残るなあ。見た目といい、明るい持ち味といい、わたるアンドレに似てるよね。髪型は参考にしたのかな。

芝居が上手い二人だから「今宵一夜」の場面も型としてじやなく、芝居として見れた。それたけに、『凍てついた明日』のクライドとテッドとか、もっと芝居らしい芝居がまた見たかったなあ。そして、テルキタはすごくおさまりがよくて、みんなが好むのもよきわかる。だからこそ、そればかりはもったいないとも思う。テル退団後もキタロウくん残っておくれよ〜

…二人がリアルな芝居をするのが、脚本をアラを目立たせていた、とも言えるかもしれないな。テルオスカルがイメージと違うと思ったのは、やや生々しい感じがしたということなんだと思う。

まあくんジェローデル。まあくんが上手くなってた! かっこよかった!発声が良くなってたし、決め顔がいっぱい。『翼ある人々』のおかげだね。

ちーちやんベルナール。これで最後だなんてもったいない。宮廷服や軍服似合うからジェローデルでもよかったか。いや、そもそもベルばらで退団てのが…。

かいちゃんアランは喉からしてるのかな、荒々しい役はニンじゃない感じ。

みりおんが白華れみに見えた。髪型のせい? ちょっと貧相に見えちゃったなあ。

れーれのルルー、いっぱい小芝居してた。上手くなったなあ。もったいない。(そればっか)

凜きらのダグー大佐、万歳。

しかしフィナーレの女装黒燕尾はいかがなものか。瀬川瑛子が燕尾服着てウッフンアッハン踊ってるように見えちゃう。薔薇タンが女装テル中心なのもイヤだった。あれは男の世界じゃないの〜? 初演通りなんだっけ? なんで今は違和感あるんだろう。

「なかったことにしたくない 実父から性虐待を受けた私の告白」を読んで [ヅカってなんだ?的記事]

あうら真輝。『落陽のパレルモ』のときに変な辞め方をしたという記憶があります。ネットでは、心を病んでいたんだとか、同期にいじめられたんだとか言われてました。

それが、本名東小雪さん=東京ディズニーランドで同性結婚式をした元ジェンヌ、そしてLGBTの活動家ということでここ数年メディアに取り上げられ、へーーーと思っていましたが。

本を書いたということで買ってみました。心を病んでもいたし、同期にいじめられた(険悪になったというべきか?)というのも、ある意味あたってました。でももっともっと、いろーーーんなことがあったのですね。なにごとも、詳細を知ることが大事だとつくづく思いました。

(以下、けっこうネタバレです!)



この本では、実の父親から性的虐待を受けていたこともカミングアウトしています。お父さんと仲が良かった楽しい思い出もある。でも一方で、おぞましい、本当にひどい虐待の記憶もカウンセリングで蘇ってきた。お父さんが死ぬ前に後悔していたようにとれる言動もあるし、お母さんの葛藤もあるし(お母さんは性虐待を知っていただろうに、なかったことにしている、つまり虐待を助長)。「性的虐待」という言葉から感じる「おぞましい」「かわいそう」「ひどい」という直接的な印象とは違う、もっともっと複雑なものを感じました。

全体的に冷静に、客観的に書かれています。前向きで、社会全体をよくしたいという気持ちにあふれています。個人を攻撃するものではありません。虐待を受けた人、セクシュアリティに悩む人にとっては、大きな希望になる本だと思います。

「なかったことにしたくない」というタイトルが、素晴らしいです。自分自身で性的虐待をなかったことにしていた、そうしないと生きていけなかったから。でも、体も心も拒否反応を示して、拒食症になったり、学校に行けなかったりする。お父さんもお母さんも、なかったことにして表面は幸せな家庭を演じていた。

こういうことって、蔓延してますよね。特に日本は、原発も、第二次大戦中のことも、客観的に分析して対処しなければ改善できないのに、なかったことにしようとしている。そうして放置するから、どんどんひどくなる。

で、宝塚です。あの96期のいじめ事件をなかったことにしている宝塚です。なんて絶妙なタイトルなんでしょう。

宝塚では、ほかにもなかったことにしていることがあって、この本ではそれを「暴力」と規定しているのが画期的です。それは「指導」。

スターさんの思い出話として、本科が予科に行う「指導」の厳しさは、「みんなで舞台に立つには必要なこと」「今となっては楽しい思い出」と語られますが、私はずっと疑問だったんですよ。廊下を直角に曲がることが、舞台に立つのに必要なことなのかあ? ちゃんと眠って授業を受けるほうが舞台に必要なことなのでは? 昔は掃除は専門の人がやってたんだから必要ないんじゃないの? と。でも、詳細を知らないから、「自分のような人間には、馴染めないところなんだろうなあ、宝塚って」というところに話を落ち着けていました。

この本には「指導」の詳細がかかれています。怒られる理由が、そんなくだらないことだったとは…。完璧にこなすことが無理なことなんですよ。それを、たまたま発見されたとき、怒られる。なんて前近代的。しかも、その後の同期同士の「お話合い」という名の対策会議を含めると、ほぼ徹夜。それが毎日。(ちなみにこの「お話合い」、96期では原告さんの吊し上げ会になったわけですが、学校側は「お話合いなんて存在しない、消灯時間に寝ている」と主張してました。バカだね~) 仙堂花歩が吉本のトーク番組で言ってた「予科顔」のことも書いてありました。怒られたときにするべき顔が決まっているという。「あなたになんか謝られたくないです!」という本科生のセリフと、それを待ち構えていたかのように発する「すみませんでした!」というセリフ。ゲームだと思えばそれはそれでやり過ごせるかもしれないけど、半分以上の生徒の生理がとまるような生活は、正常じゃないですよね?

この本がさらにすごいのは、自分が本科になったときの加害が楽しかったと告白していることなんです。おおおお。そうか、やっぱりそういう美味しい面があるから続いているんだ。そして、それを後ろめたいと思うからいままで誰も言わなかったんだ。

96期以降、寮での指導はなくなった(最初の数週間だけはあったらしいですが)、指導があればあんな事件は起きなかっただろうと言われています。それは本当に正しいと思います。だけど、じゃあ、本科の指導を戻したほうがいいかというとそれは違う。だってどちらも暴力だから。

初舞台生がおかれた状況のひどさも読んでいてつらかったです。いじめ事件にしても、「指導」にしても、全体的に基本的人権をあまり考慮しない職場であることがわかり、「ああ、やっぱりな…」と腑に落ちました。(96期の裁判の記録を読んでいて「外部漏らし禁止規則」というものがあることを知りましたが、普通の芸能人と同じように、戦略的に必要であれば彼氏がいることを黙っているとか、はしたない話をしないとか、それでいいじゃないですか。過剰に秘密の園を演出するから、こういう前近代的な体制が秘密のままで野放しになってしまうんじゃないんでしょうか。)

こういう世界で生き残っていける人は、たまたま運がよかった、たまたま体力があった、たまたま器用だった、たまたま精神的に追い詰められにくいタイプだった、、、ということなんでしょう。まさにサバイバル。もちろん、舞台の世界は厳しく、体力も運も器用さも精神力も必要で、そういう人しか上にはあがれないことは理解できます。だからといって、そうでない人を無惨に追い出すような形になるのは、人権侵害でしょう。芸事の世界では当たり前? 人権が守られない芸事なんて、やめたほうがいいと思います。スポーツでも、お相撲でも、会社でも、なんでもそうです。

100周年の式典のトークで先輩たちが、おかしなルールについて疑問を呈し、そんなルールは昔はなかった、と話していたことも書いてあります。マヤさん(未沙のえる)も、必要ないルールが多すぎるとサヨナラ番組で言ってましたね。個人的な意地悪は昔からある(天津乙女だって代役の人に意地悪したって本に書かれてます)、だけどそれを恒常的な暴力にしてしまう体制は本当になんとかしないといけないと思うのです。

東さんは、宝塚を否定しているわけではないんです。もともと憧れて入ったのだし、先輩たちに対する敬意が垣間見えるのも好感が持てました。

素敵な世界は、内部も素敵であってほしい。一人ひとりが幸せになれる世界がきてほしい。東さんの本が良い契機になればいいなと思いました。