So-net無料ブログ作成
検索選択

戦国BASARA(シアター・オーブ 6/27 18:30)

ゲームを全くしないので、逆転裁判も世間ほどは楽しめなかった私。全く期待しなかったのですが、それがよかったのか、そこそこ楽しめました。

だって、起承転結がある!(ガーシュインやロバートキャパには無かった)(なんて低レベルな争い)

だって、主人公の心の変化がある!(ガーシュインやロバートキャパには無かった)(なんて低レベルな争い)

一応「お話」としての体裁があって、ほっとしました。「それがしは何のために戦っているんだろー」「あなた自身のためよ!」っていう、型通りの話なんだけど。(ゲームにはこんなの無いんだよね? ゲーマーにとってはこんな「お話」は不要なのかしら?)

「夢」は自分の中の自信のようなものを表していて、イコール太陽でもあるんですねー。その黄色がいのりちゃんの衣装の黄色とリンクするところはなかなか良かったな。

そして何といっても、ジェンヌってすごい。臆面もなくあんなキャラクターになりきっちゃうところがすごい。「臆面もなく」この言葉がぴったり。事前にちょっとだけカプコンのHPやアニメ版を見たんですが、いやー、なりきってるなりきってる(原作ファンの方かたしたら「ちがーう!」なんでしょうが…)。普通、格好や台詞に怖気づくよね。笑っちゃうよね。それを、ババーンとやってみせちゃって、ちゃんとした水準になってるって、すごいわ。「それがし」「…でござる」「おやかたさまあ」「毘沙門天のお導きのままに…!」「旦那ぁ」「you see?」うわー、真似したくてたまらん。メインキャラの皆さんがますます愛おしく思えました。(べーちゃんはもうちょっとお色気ほしかったかなあ。でもかわいいから許す)

と、褒めるのはここまでだ。

メインキャスト以外にはほとんど見せ場がなかった。せいぜい、策士のさおたさんと、主人公の父よっちと、主人公の子供時代うららちゃんぐらいか。がりんはまだお笑いキャラだからいいが、ふじぴーとかもったいなさすぎる。

じゃあ、その他大勢が戦の場面で上手く使われているかというと全くそうではなくて、ただ揺れている的な振付でとても単調。眠い眠い。

なんといっても音楽が単調だなあ。ばーさーらー、ちゃららららら、ばーさーらー、って耳に残るけど、これはゲームの音楽なのかなあ? 植爺譲りの「タイトル連呼しとけばいいだろ」的発想なのかなあ? ちょろっとならいいけど、そればっかりは飽きる飽きる。

ゲームやアニメの印象だと、人がすこーんと飛んだり、2次元だからこそできるアクションが満載でスピード感がすごかった。これを期待してしまうと、かなりがっかりだよねえ。舞台でどういうふうに表現するか、すごく難しいと思う。(舞台版はどうだったんでしょう。男性ががんがん殺陣をすれば、それなりに面白いアクションになるのかな?)

で、映像をたくさん使っていたんだけど、映像ってどうしても「ちょっとズルしました」的に見えてしまうのよねー。セリで下がっていって消えるっていう仕掛けは何回かあったけど、もっとそこでスモークをたいたりすればいいのに。オーブは盆って無いのかなあ。本水も全然効果的に使われていなかったなあ。うーん、スピード感を出すにはどうすればいいのかわからないんだけど…。でもイケコの太王四神記はファンタジーでスピード感あったよ…?

フィナーレは若衆踊り。『花の宝塚風土記』を思い出す。(みりお、だいもんの初舞台じゃん!)…しかしこれも、長すぎた。1/3でいいから、違う衣装の違う場面を見たい。音楽もノリのいい感じにしてほしかった。デュエットダンスの衣装はセンス悪っ。

脚本としては、いのりちゃんがじつは…というのが、ちょっとつじつま合わないところがある気が。一幕の行動が多重人格に見える。幸村に助けられた後に、そういう仕事についたの? それに、謙信の身代わりになるのは、直接は幸村のためになるかどうかわかんないよね? あと、最後、謙信が負けたことになってるけど、どこがどうして負けたの? それは聞かないお約束?? 

あ、最後に特筆すべきこと。春花きららちゃんのおすべらかしが美しー。オグリ、近松といい、日本物が似合うわあ。

演劇学会シンポジウムに潜入して思ったこと [ヅカ的近況]

会員ではないのですが、研究者の友人が「今年は音楽劇や宝塚がテーマだよ」と教えてくれたので、6/23のシンポジウムだけ参加してきました。小林公一理事長、井上理恵氏、川崎賢子氏が、それぞれ発表というほどではないが思うところを語って、その後トーク&質疑応答。

司会の鈴木国男氏いわく、2002年の演劇学会のテーマは「宝塚は演劇か?」だったそうで(そういえば聞いたことあるような気がする)、今やそれはとても失礼ですよね、と笑いを取ってました。

そうそう、そうです。10年ぐらい前は、宝塚に関する、スター本以外の本といったら、『宝塚戦略』(津金沢聡広)と、『宝塚―消費社会のスペクタクル―』(川崎賢子)、あとはクラシック音楽から見た『宝塚歌劇の変容と日本近代』(渡辺裕)と、かなり勘違いしている『踊る帝国主義』(ジェニファー・ロバートソン)ぐらいなものでしたよね。あとは『ユリイカ』の2001年の特集ぐらい?

それが今じゃ、いろんな論文が書かれていて、研究会なども開かれている。そもそも学問の世界が対象範囲を広げているということもあるのでしょう。私は聞けませんでしたが(ロングスリーパーに土日の午前中というのは存在しない)、プログラムにあった堀正旗研究、宇津秀男研究、紀元二千六百年の生徒の日記、映像に見る東京進出考…どれも面白そう! 論文にまとまるのが楽しみです。

そんな中、川崎氏が言っていた、宝塚のシステムにばかり注目しすぎたかもしれない、作品や技芸への批評もちゃんとしなければいけない、ということが印象的でした。「背中で魅せられる俳優を10人集めようと思ったら、宝塚でしか不可能」。たしかに宝塚のレベルは高い。「宝塚は演劇か」という問いが笑われるようになった今、宝塚を特殊ジャンルだからということではなく、演劇全体の中で捉えることができるのかもしれません。

井上氏の菊田一夫研究の話も面白かったです。装置の額縁は菊田が発明したんですって!?

理事長の言でヅカファン的に「へー」というのは、地上波での露出を強化したい、コアなファンだけでなく一般のライトな層にアピールしたい、と言っていたこと(ふーん……)。川崎氏が、地上波の露出は大変いいことだが、ビジュアル重視だと若けりゃいいということになるのでそれはやめてほしい、とナイスな突っ込みをしてました。

以上、宝塚の存続が飯の種とは全く関係ない、完全な外野の感想でした。

フォーエバー・ガーシュイン(宝塚バウホール 6/15 14:30) [観劇メモ]

平板で、表面的で、何がしたいのかよくわからない…。後に何も残らない…。不快ということはないんだけれども…。(コード・ヒーローみたいに「なんじゃこりゃあ!」のほうが、印象には残るかも…)

<テーマが無いから内面が描かれない>

ジョージ・ガーシュインとはどういう人だったのだろー。女性に人気、ポーカーフェイス、天才作曲家。キキちゃんがかっこいいから、モテるのも納得だし、天才なのもわかったけど、内面がさっぱりわからなかった。まあ、天秤座のチャラ男だから、悩んでないように見えるのは正解なんだけど、それにしても内面がわからなさすぎる。

★仕事の悩み?
唯一の挫折は、どうやらオペラが受けなかったことらしいのだが。そのことがどういうふうに彼を苦しめたのかがわからない。自分の音楽が理解されないこと? それとも借金を背負ったこと? マスコミに叩かれたこと? 全部? いきなりやさぐれた様子で出てきて、悩んでますと言われても…。

いや、まあ、「客席の後ろのほうに人がいないんだ!」という叫びは、誰もが「そ、その辛さはわかるよ!!」と冷え冷えしながら同意したと思うけど。(今の宝塚でその台詞はちょっとね…)

それとも、曲が書けなくなっちゃったことに悩んでたの? それはオペラの失敗のせいなのかな? それとも、ハリウッドと水が合わなかったってことなのかな? 才能の枯渇? 芸術家の宿命? 

「しょせんティン・パン・アレイ上がりだと差別される」という台詞もあったけど、それで苦労した場面がないからわからない。パンフによると野口幸作は、ティン・パン・アレイが今や面影すら無いことに衝撃を受け、それを描きたかったそうだが、ブロードウェイとハリウッドの違いや、時代の変化が、同じく説明台詞しかないから、実感として伝わってこない。曲ができなくなったのは、安易に有名人を叩くマスコミのせいでもあるのか。だったら新聞記者がもっと何かを象徴してたり、ガーシュインが死んだ後に何かコメントするはずなのに、それがないからわからない。叩いていたくせに、死んだらあっさり追悼しちゃう大衆の愚かさにもポカーン。

ひょっとしてテーマは、夢を取るか生活の安定を取るか、なのか。生活に追われたから曲が書けなくなった? いやいや、生活に追われる場面はなかったぞ。それに、夢と生活で大きく悩んでいたのはヒロインであるケイ。彼女が主人公になりそう。でもそこは結局、描かれてない。

★恋の悩み?
恋愛方面も、よくわからなかった。一瞬出会って、名前も聞かずに別れて、再会したときには相手の女性は銀行家夫人、ハイソな子持ち。でも音楽活動を手伝ってもらってラブ、らしいのだが。

そもそも二人の関係ってどうだったの。チューまでして、薔薇贈りあって。つきあってるんなら、子持ちのケイは悩むはず。でも悩んでない。家まであからさまに送らせないはず。でも送ってる。変。じゃあ、深い仲じゃないってこと? チューしておいて? 自分をおさえてるの? だったらそこで悩むはず。うーん、わからない。

一幕の最後で、銀行家が妻の不倫を新聞報道で知ってガガーン! 「終わりの始まり!」とか言ってるけど、不倫が夫にばれたぐらいで、作曲家人生の終わりの始まりってこたぁないだろう。よほど嫌がらせされて仕事がなくなるのならともかく。

ケイが、夫に「やつとの仕事をやめろ」と言われて、あっさりあきらめるのもわからん。理想的な妻を演じなければいけないという価値観? だとしたら女性の自立というテーマがもっと前にでてくるはず。そもそもどうして銀行家と結婚したんだ? 銀行家は、妻を愛しているから怒るの? それとも理想的な妻でないことに怒ってるの? 銀行家はどういう人なの? あきらがガシっと抱きしめるところが、なんかねっとりしてて(笑)、粘着質な人かなーとか思ったりしたけど、物語上はそうでもなかったし。なんでガーシュインの死後に離婚してるの? よほどのドラマがあったんだよね、夫婦間の。そこが知りたいのにー。

主人公すら内面が描かれないのだから、いわんやほかの登場人物もおしなべて…。生徒さんたちがもったいなさすぎる。

私は内面というものにとらわれすぎているのか? 近代的自我にこだわりすぎ? 大衆娯楽たるもの、記号だけで成り立っていいはず? 有名な人物がでてきて、定番の場面があって、死んで涙ー、みたいな。でも、そういう「ありがち」なドラマチックな演出も、ないのよね。。。

<良かった仕掛け>

唯一ウルっとしたのは、ラストに兄アイラがトランクの中の楽譜をもとにソングブックを作りたい、とケイに話す場面かな。これは、二人の演技が良かったんだけど。

そう、このトランクの仕掛けは良かった。冒頭でジョージが死んでいて、アイラはトランクの中の楽譜を見たいのだが、暗証番号が分からない→ケイが暗証番号を当てる、それはケイがジョージと出会った年月日だった、というところから時間が遡り、二人の出会いから話が始まる。しかも、出会いがトランクにまつわるものだったなんて、この作りは素敵(やっと褒めるところがあったぞ)。

<他の作曲家ミュージカル、カタログミュージカル>

作曲家の栄光と挫折を描いたミュージカルというと、『モーツァルト』、『Boy from Oz』が思い浮かびます。どちらも、最初成功して、挫折があって。若い時代から、死ぬまでを描いている。別に、重たいテーマはなくて、ただ一人の人の人生。だけど、どうして挫折したかが理解できなかったりはしない。自分とは違う天才の人生だけど、感情移入できた。感情に整合性があった。どうしてだろう。モーツァルトは大人になりきれなかった、ピーター・アレンはお調子者すぎた…同じか(笑)。そうか~、「本人が破天荒で自堕落すぎた」ってのは、宝塚じゃあ無理なのね、うーむ。

ふと気付いたんだけど、この二つってどちらもインナーチャイルド的な役があるね。アマデと、リトルピーター。子供時代が描かれている。子供のときに触れた音楽への愛が、最初にしっかり描かれてるってことだ。

この作品も、子どものときに兄アイラに買い与えられたピアノにアイラが興味を示さず、ジョージが音楽に目覚めた、という有名なエピソードを入れれば良かったんじゃないか? 少なくとも。そして、その時のナンバーはI Got Rhythm! うん、それがいい。

そうそう、カタログミュージカル(ある作曲家や歌手の音楽だけを使うミュージカル)かと思ってたんだけど、そうでもなくて、ガーシュインの作品は基本、劇中レビューで使うというのがまた残念(そうでないところも若干あったけど)。ジョージがケイを思う場面で、But Not For Meを使えばいいじゃないか。銀行家がケイを思う場面では、Embraceable Youを悲しげにアレンジして使えばいいじゃないか。ブツブツ。

<ショーとして?>

いっそ、ショーとして観るべき? けど、ショーとしても別に目新しいことはないのであった。。。。

原田諒のデビュー作も、一人の人の人生を追っていながら、内面はぜんぜん描かれてなかったけど、BGの入り方なんかが上手で、テクニシャンであることだけはわかった。でも、野口幸作はテクニシャンでもないんだなあ。レビュー場面がいっぱいあるけど、楽しいは楽しいけど「わあすごい!」「これがやりたかったんだね!」という場面はないの。ガーシュインに特化していながら、あの時代の雰囲気っていうものが伝わってくるわけでもなく。宝塚の典型的な場面の羅列という感じ。

二回目、注意して観ていたら、音楽が何気なくガーシュインを取り入れていたり(銀行家が妻を抱きしめながら歌うのはHow Long has this been goin' on?)、照明が工夫されていたりすることはわかった。でも、融合してないから、伝わらない。スタッフに優秀な人を集めても、統括する演出家にしっかりしたテーマやプランがないと、意味がないのだなあ。

フィナーレの曲のアレンジは面白かった。斬新。

一方、追悼コンサート最後の「誰も奪えぬこの想い」(They can't take that away from me)のアレンジは変だった。いや、人間が描かれてないのに「追悼」で盛り上げようとするから、白けたのかな。こういう場面でも感情を入れられるジェンヌさんたちってすごい、と頭が下がるのみであった。(ソルフェリーノの幕前での兵士たちの歌を思い出したよ)

<キャストについて>

芹香さんの、真ん中ぶりはすごかった。母性本能くすぐる感じもイイ。「僕を置いていくの?」だって!

たそのアイラがイメージそのもので。ご遺族にも見せられるアイラなんじゃないか。オタクでちょっと空気読めないけど、すごく優しいの。「一人にしてくれないか」って言われた後の表情とか、絶妙。アイラとジョージのツーショット写真がほしい!

仙名さんのヒロイン、けっこうヒロイン然としていてよかった。なんたって、声がいい。やや自立しすぎているかもしれないが。やや顎が長すぎるかもしれないが。チューのあとのうっとり顔はしっかり娘役芸ができてるし、いいじゃん、こういう人がトップとかになっていいと思う。歌ウマで、しっかりしていて、ヒロイン顔ではないかも、というのは和音美桜を思わせるから、東宝ミュージカルでヒロイン狙ったほうがいいのかもしれんが、私の好みはこういう大人っぽい娘役さんだなあ。

マイティは台詞が滑らか、清らか。とても聴きやすい。堂々としているし、将来が楽しみ。ユズカレー君は、歌うと「あちゃ~」で、タニをほうふつとさせた。(それだけ華があるってことよ。)

まりんさんとか、いちかさんとか、ふみかもだけど、らいらいも、なんだかなあな使われかた。あきらも二番手のはずなのに出番少なすぎ。きらりもいい役なのにせりふは一つか二つ。らいらいは有名な歌手の役なのに、歌ないし。和海しょう君もソロあったけど、もそっとかっこいい体裁にしてあげればいいのに。

らいらいのアーウィン・バーリンが売名行為に熱心だったとか、和海しょう君のアル・ジョルソンの黒塗りは黒人差別の芸だったとか、随所に豆知識がでてくる。そういうのって、オタク体質の私としては大好きなのに、ぜんぜん響いてこないんだなー。世界観があってこそ、細部を知りたいもの。世界が成立してなかったら、細部に仕掛けがあっても魅力的には見えないのだ。(っと話が元に戻ってしまった)

船のチケット切りの子、美花梨乃か。最初、ちっちゃいウメちゃんかと思った。いいねー、こういうところで面白い役者がぽっと発見されるのが、宝塚の楽しみの一つだよね。綺城ひか理はゆうひさんに似てる、飛龍つかさはまなはるに似てる。

蘭舞はますます顔が毒々しい。朝月は写真ではかわいいのに舞台だと「たくらんでる」顔だ。乙羽は美人ではないが毒気はない。。。。裁判記録を読んで感じた印象に左右されているのか? いやー、やっぱり舞台って人柄がでるんだと思うなあ。

ふみか茶 フォーエバーガーシュイン [お茶会報告]

ジョージに「夢をあきらめろ!」と言う社長さんの役と、一花さんにぺこぺこしているプロデューサーの二役。レビュー場面にたくさん出ていて、上級生として下級生を指導することも多かったそうです。

---------

基本的に、あれこれ言わずに見守るタイプなんですが、今回はさすがにそういうわけにもいかなくて。黒燕尾にしても、ふつうの黒燕尾と、中にピンクのベストを着ている燕尾服とでは、手の動かし方から、笑顔から、違うんですよ。この学年になると、そういうことを伝えていかなくちゃ、と思います。

社長は厳しい人。こういう役は定番だけど久々なので、自分の中では懐かしい感覚。下級生席からは「ふみかさん、キターーー!!」って歓声が起こってた(笑)。もっと下級生は、「ふみかさんてそういう人なんですか…」みたいに驚いてて、周りが「そうやでー、当たり前やん」みたいな。

プロデューサーのほうとは、ヒゲは変えています。時々ヒゲを間違えそうになる。自分はあまり他人にぺこぺこしないタイプなので(笑)、プロデューサーは正反対だから作りやすかったですね。とにかく、その場が円滑にいくことを考えている人なんでしょうね。え? ガーティに特別な感情? 無いです(バッサリ)

(司会:楽譜販売の会社が20年後潰れてますが、社長さんはどうなったと思いますか?)失業者の群れの中にいるんじゃないですか〜?(笑)

タップはなんと本科生のとき以来! しかも、ある学年をさかいにタップの先生が違うから、習ってないステップとかある。「バックステップって何!?」…ここからあっちはタカタカやってるのに、こっちはポカーン(笑)

(司会:オーシャンズ11でからんでた、柚香さんや水美さんとは裏で会ったりしますか?)全然会わないんだよね~。そうそう、ウォーミングアップのときマイティがイヤホンで何か聴きながらノリノリで踊ってるから、何聴いてるの? って聞いたら「ダディディダディディダディドゥーダ♪」って、オーシャンズだった。「それ古くない?」「でもめっちゃテンション上がるんですー! こないだもレイと踊りましたー!(元気いっぱい)」だって…。あとは、、、アキラはよく袖からレビューのシーンを見てます。「私、楽しいシーンないんですよ…(ぼそぼそ)」って。「うん、楽しいよー」つって。楽屋で隣はイブ、りの、しほがピーチクパーチクしてる。私はその横でヒゲをとっかえひっかえしてます

フィナーレは、野口先生の指定でジャニーズ仕様。でも私、少年隊とかの世代なんで…(←え、そんな年? オジサンぶっちゃってー)、せいぜいV6の年上のほうかなとか(汗)。なので、あれはアダルティーなジャニーズ設定です! じつは、袖で女の子たちに何気に人気なんですよぉ~(自慢げ)。(うん、私もあのふみか様、すごい好きっす)


天翔ける風に(シアタークリエ 6/13 19:00)

ドストエフスキーがすごいのか、野田秀樹がすごいのか、謝珠栄がすごいのか。

全員すごいんだと思う。

『罪と罰』の幕末版、をさらにミュージカル化。とはいえ、衣装は和洋折衷だし、お金の単位は現代だし、女性が役人になろうとしているし、あくまでも架空の幕末(それに慣れるのに少し時間がかかった)。幕間にパンフを立ち読みして、学生運動のイメージでもあることが判明。なるほどなるほど。

時代を変えるという大義のもとに、無責任に騒いで暴力をふるう愚かな大衆。それに乗せられて死んで錦の御旗にされちゃう犠牲者。志を果たす能力も勇気もなくて都会で無意味に人殺しの仕事をする堕落者。暇だから退屈しのぎにただただ騒ぎを引っ掻き回す変な金持ち。…今も同じだね。

でも主人公英(はなぶさ)は違う。能力も勇気もある。だから、思想のために人殺しをした。

『罪と罰』と同じく重いテーマの作品。その一方で、「新しい時代を!」という感じの明るめの曲もあって、最初はちょっと乖離しているような気がした。とはいえ、勢いがあるので全然退屈ではない。どうやってまとめるんだろうと思いながら観ていた。

(以下、ややネタバレ)

クライマックス、英が、殺人が間違いだったと気付くとき。それを告白するとき。それがなんと、大政奉還と同じ場面なの! というか、大政奉還をどうやって描くんだろーと思っていたら、英の告白が大政奉還の暗喩になってるの。牢に入ることが、イコール、時代が開ける。この逆説が素晴らしい。

告白を聞く英の友人才谷は、思想や暴力ではなく、情報と経済で時代を変えようとしている、当時としては先見の明を持った人物(と言えば…?)。

英が、「大川の向こうから吹く風が懐かしい」と言うその風、タイトルにもある風は、才谷が象徴しているもの、それに癒されたこと、なのかなあ。英が殺したのが金貸しだったことと、才谷が経済に携わっていることはもちろん関係あるだろうし。いろんなことがリンクしていて、ゾクゾクする。

で、英のコムちゃん! 凛々しくてイっちゃってるコムちゃんの、その冷たい器に、罪の意識が渦巻いてる様子、前のめりに舞台を歩いていくコムちゃんの横顔に、どんどん引き込まれる。

才谷の石井一孝さん! 暑苦しくて、愛嬌があって、この人なら時代を変えられると思うし、この人なら英を癒やせるという説得力がある。

なんたって、二人の、罪の告白のあとの一瞬の抱擁! 友情? 愛情? なんでもいい! ファイヤー&アイス! って感じの組合わせがものすごくツボだった。そこで「私を抱きしめるのはどんな感じ?」「人殺しって温かいんだなあ」…なんだその台詞! マジ天才!!(宝塚の脚本家って9割が才能ナッシングなんだなあとしみじみ…客席にオギーがいたよ…)

かなみんが英の妹役で、これまたトップ娘役そのものという役でねー。イっちゃってる姉に「姉さんのふるさとでありたい」と歌い、望まぬ結婚は断固として拒絶。ここでの吉野圭吾さんとのやりとりも壮絶(吉野さんていつも紫着て変人やってる気が・笑)。この妹も、既存の女性の枠に縛られているように見えて、全然そうではないのだなあ。

それぞれ、これまでいろんな方が演じてるんですね。遠藤先生(山崎銀之丞)の才谷ってどんなだったんだろうなあ。タータンの英はもっとウェットだったのかなあ。

あと、アンサンブルというか志士たちの役が重要。彼らのあり方が、テーマに深く関わっているから。で、志士たちと写真を撮るイベントがあるそうな。クリエ面白すぎる(笑)。

音楽も好みでした。『罪と罰』読んでリピートしたいかも。

モンテ・クリスト伯/Amour de 99!!(東京宝塚劇場 6/2 15:30) [観劇メモ]

もう今日が千秋楽なんですね。

夏休みにやって、小中高生向けってのを売りにすれば良かったんじゃん? と思いました。名作のミュージカル化、ドキドキの復讐サスペンス、だけど歴史の勉強にもなるし、最後はちゃんと改心。そして家族愛でまとまる、と。お父さんお母さんも一応安心できる内容です。

石田は『復活』のまとめ方も良かったし(社会主義とかキリスト教とか処理しきれなかったけどそれは仕方ない)、今後は「世界の名作をまとめちゃいました」シリーズに徹したらいいのでは? オリジナルだとどうしても、セクハラ満載、臓器移植を謳って客席ドン引き、なので^^;

ラストの、家族愛に収れんしていくところに、若干の石田テイストを感じたのですが、なるほどここが原作と大きく違うのですね。(原作ではれーれの役と一緒に去っていくとな)しっかり石田テイストを嗅ぎ分けてしまった、トホホ。

話題の、アメリカの高校生が演劇をやっているという仕掛けですが、これはスピーディにまとめるために存在してるんですね、きっと。『殉情』のようにいちいちテーマを説明したりしないので、不快ではなかったです。劇中の人物に絡んだりするのも面白かったし。数多い生徒に役をふることもできた。起きていることを現代の事象に置き換えて説明するのも、中高生向き。でも、上手な脚本家なら、これを使わなくてもスピーディにまとめることができただろうな、とは思います。

テルのスネスネキャラが私としてはうれしかったです。この人は『堕天使の涙』新公のルシファーや、銀英伝のラインハルトみたいに、「どうせ私なんか!」「僕ちゃん愛されてない!」がとても似合います。なんて素晴らしい宛書き!(だから、次の次がレット・バトラーというのはどうも納得いかない。スネスネバトラーなのかな)。みりおんとあまり接点がなくて、接する場面はほとんどが立ち回りというのも、二人の持ち味の違いっぷりが活きていたと思います。

まあくんのヒゲは初々しいけど、なかなかお似合いで今後が楽しみ。悪役としての作りは、悠未さんのキャリアに叶うわけはないけれども、小悪人役のちーちゃんと三人で「俺はあいつを許さない」「俺もあいつを許さない」とか、くだらない歌を歌っている図が頼もしい。

キタロウくんは素でやってそうな、人のいいキャラ。高い声で作っているのがちょっと聞き取りづらかったけど、スネスネのテルに「俺はあんたを守る!」とか言っちゃうのがねー、もうねー。私はどちらかというと、アンチテルキタなもので。キタロウくんは一人でも輝く人だと思うから。でも、こうして久々にtheテルキタを見ると、ひじょーーに座りがいい。『霧のミラノ』や『堕天使の涙』新公で二人並んでいた図が、まざまざと思い出されて、じーんとしてしまう。陰陽の素晴らしいバランス! …とはいえ、キタロウくんがずっとテルのお守りというのは非常にもったいないので、連発はしないでください。

かいちゃんも豪快な役を頑張ってたし、あっきー、愛月ひかる(3年前も子ども役やってたような…)、蒼羽りく、それに凛きら、桜木みなと君もいるし、今、宙組ってけっこう豪華よね!? 娘役もそれぞれ、せーこ、れーれ、たらちゃんといい役だったし、風羽さんやてんれーさんにも見せ場あったし、石田はこういうところは愛があるよね。

ショーは…まとまりがなくて残念。過去のショー作家(戦後に活躍した人で、故人限定)の功績を振り返る、という趣向は素晴らしいけれども、いちいち「○○先生!」と紹介する場面があるので、テンションが途切れてしまいます。舞台装置の隅のほうに写真をはめ込んで、いちいち紹介しないで、わかる人だけわかる、というふうにすればよかったのでは?

そもそも、お客さんに対して、身内を「先生」と紹介するそのセンスがまず私には理解できません。自画自賛ソングならまだ笑いで済ませられるけど、、、。これって、いじめ裁判で裁判所の決定を2度も無視したのと同じセンスでしょう。今となってはそれがわかってしまうから、ますます寒い。最初のチョンパでB席でも「わあっ」と声が上がったのに、後どんどん客席が冷えていくのが感じられました。

全体的に、劇団の無茶ぶりに大介が困惑しながら作った、という感じがしましたなあ。

『華麗なる千拍子』からのパイナップルの女王を中詰めにしたのは正解。なかなか盛り上がるし、テルの美脚はすごいインパクト。だけど、クライマックスを『シャンゴ』にしたのは微妙だ~。伝説の舞台で、私もすごく興味があったけど、これってあまり資料がないんだっけ? 「え? こんなもの?」というふうに感じてしまいました。

泥棒紳士の場面は素敵! 映像見たことあったけど、生だと、じらしてじらして、盗んだ! え、ばれた! で最後ハッピーエンド? っていうのが胸キュン~。

キタロウくんの女装はひたすら意味不明。不快ではないけれども、ただただ不思議。あれって、どういう場面だったんだろう? 大女と耽美少年の、何?

ところで、二番手はまあくんなんですねー。階段降りとかはぼかしてあるけど、使われ方としては二番手。泥棒紳士の場面のように、まあくん&みりおんっていうコンビがあり得るのでしょうか。ふーむ。キルヒアイスが素敵だったし、トップに異論はないけども、宙組の今後の人事は気になります。

この広告は前回の更新から一定期間経過したブログに表示されています。更新すると自動で解除されます。