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ニジンスキー二回目

最初のパーティーの場面のセリフと曲の間合いが好き。

チギのバレエが上手になってた。

キスシーン、角度がいい!本当にチューしてるみたい! チギのあえぎ声もまた素晴らしい。

ロモラとのやり取りはちょっと上手く行き過ぎで眠くなる…

二幕最初のキタチギデュエットの最後の振り(飛ぼうとするニジンスキーと、つなぎとめたいディアギレフ)が好き。

チギのあゆっちへのキスシーンもなかなか、やる気な感じがいい。(キスシーン話題ばっか…)

あゆっちの船上での衣装かわいい。

膝を抱えてるニジンスキーは本当に心を病んだ人の動作を再現できてる。

キャットファイトの場面がいいのは、なかなか無い複雑な力関係(互いに嫉妬し合っていて、どちらも勝てない)なのに説得力があるからだと思う。

チギの熱演には頭が下がる。しかも挨拶がかわいかった。100周年(がもしあれば)にトップになってて全然かまわない。(←何様)
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勝手に「こだわりアラカルト」キスシーン編 (1) [ヅカってなんだ?的記事]

ふと思った。

・蓮城まこと大先生は、上級生のキスシーンの稽古をつけるほど、キスシーンがお上手なんだろうか。

・緒月さんはこれまでキスシーンを演じたことがあるのだろうか。

・どうして音月さんはあんなにキスシーンが下手なんだろうか。新人公演やバウ主演でやったことないんだろうか。ないわけないだろー。

そんな疑問を解決すべく、HDやDVDのチェックを始めた。

でもねー、主役に近いところじゃないと、ラブシーン自体ないのよね。(ちなみにふみかちゃんは、せいぜい『蒼いくちづけ』できらりちゃんに言葉で迫ってるぐらいで、キスシーンもラブシーンも無いT T)

キタロウくんのは今のところ、『青い鳥をさがして』の新人公演のほっぺにチューしか発見できず。(でもこれ、かわいいよねー。)

キングのは『ロシアンブルー』の新人公演で発見!(なぜかHDに未見で残ってた) んー、キングも悪くないけど…、角度がおかしかったりしないし、でも、むしろあゆっちの口半開きがイイね。

おっ、『ロシアンブルー』は本公演も映像がありますよ。水さんのキスシーンは、どれどれ…。おおおっ、キングと逆に回ってる!!! (っつーか、キングが逆にやってる)

水さん→銀橋で見つめ合って、客席側の手はみなこの後頭部、横顔のまま近づく…1.5cmまで近づいたところで、反時計回りにくるり、客席からはみなこの背中が見える。

キング→銀橋で見つめ合って、客席側の手はあゆっちの首筋、近づく前に時計回りにくるり、客席からはキングの背中が見える。

本役さんは至近距離まで近づいてるのが、さすがだわ。手を添えるのも、隠すのに使っちゃあ邪道。

水さんと言えば、『霧のミラノ』のいづるんとのボックス席の場面でしょ〜〜。あれは大好きだった〜〜。どれどれ。顔近付けて……、うわあああ、手なんか添えてもいません! どう見ても本当にチューしてるように見える!! は〜、これぐらいやっていただきたいものです。うっとり。

手の位置も大事よねー。上級者は隠すのに使わないんだから、ほかの効果的な方法に使えるわけで。後頭部抱きは真飛さんがお得意だったし(真飛さんは口半開きがまたイイし)。『カサブランカ』のユウヒの、右手ですみ花をひっぱるアレ! アレはすごいよね〜〜。しかもかなり至近距離! 絶品ですな。

つくづく、キスシーンって、「型」なのだなあ。立ち回りみたいなもので、「型」以外の何ものでもない。でも、それをいかに「型」に見せないかが、大事なんだなあ。ふーむ。柴田先生の「1.5cm」は名言だと思う。夢の世界でのリアリティ。

こんなふうにキスシーンの「形」にこだわってる演劇なんて、あるだろうか。普通、ほんとにキスしちゃうでしょう。それに、こんなにキスシーンを特別視しないでしょう。時代劇に立ち回りが必須なように、タカラヅカにはキスシーンが必須、なのかもしれないなあ。

そのルーツは戦前のハリウッド映画なんだろうか。しかし、その頃のタカラヅカは「恋」って単語だけで拒否反応示すファンもいたぐらいだから、キスシーンは無いよなあ。タカラヅカ初のキスシーンってどれなんだろう。

というルーツ探しもともかく、おすすめキスシーンを今後も勝手に探していきます。

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バラの国の王子 / ONE (東京宝塚劇場 5/8 15:30) [観劇メモ]

(修正しました)

キムシンは『オグリ!』みたいなおとぎ話を大劇場でやりたかったんだろうな。魔法が大真面目に信じられている世界。戯画的な王様だったり、戯画的なわがままシスターズだったり、典型的な良い娘だったり、仲良くしてくれるたくさんの動物だったり。そういったものを、シンプルな語りと、面白いセットと小道具とで、楽しく安心して観られる作品。

って、大劇場サイズでそれはやっぱり無理だったよ。スカスカすぎる。

お話がシンプルすぎて、大劇場の客席全体を巻き込むことができない。おとぎ話、すなわち、あまり感情移入とかしないタイプのお話。小さな劇場しか作れなかった時代の感覚のお話。だから、せいぜいバウホールサイズで見るべきお話なんじゃないかなあ。

お話自体にも、意外性がない。今の価値観とたいして違わない。『オグリ!』は古すぎて、「何それ!?」っていうあり得ない展開が面白かったけど、「見た目じゃなくて心」とか「動物と人間の違い」とか、現代の価値観と同じ。そのうえ説教くさくて、ちょっと道徳の授業。

説教といえば『王家に捧ぐ歌』の平和云々だけど、あれは音楽や装置や場面場面がスペクタクルだから面白かった。『オグリ!』も、いろんな仕掛けが楽しかったし、それがバウホールサイズにぴったりな仕掛けだった。今回も、せめて魔法の部分の演出にもっと工夫があったり、大劇場サイズのスペクタクルだったら、良かったのかもなあ。って、要するに演出そのものってことじゃん。キムシンよ、君からケレン味を取ったら何が残る、とちょっとさみしい。装置や仕掛けを作るお金がないってことなのかしら。

大体、主要人物少なすぎ。(オグリは、オグリと照手以外に、パパ、ママ、ヘビ=おかみ、マメ、萬様、兄弟3人、老夫婦、お坊さん、商人=熊野権現ってところか。役名と役者名がごっちゃだ^^;)こっちは、王様=弟、良い仙女、悪い仙女、姉二人、商人、虎、もりえ(またも役名と役者名ごっちゃ)ぐらいじゃん、出番らしい出番があるの。全出演者数はオグリの何倍もいるのに。大きな舞台の上に、大勢がうじゃーっといるのに、物語はごく少数の人間だけで進んでいると、どうしても退屈してしまう。

きりやさんのあのかぶりものは、スタイル悪くなる魔法にかけられたのかと思うぐらい、頭が大きく見える。もっと違うかぶりものにはできなかったのか。まりもちゃんがとってもよかった。しっかりしていて、正直で、ああ、ベルってこういう子なんだなあって明確にわかる女の子だった。ベルのつぎはぎ衣装かわいい。マギーとすーちゃんのあの役ねえ、あれに5500円払ったんだと思った。ベル親衛隊の8人口に好きな男役さんがごっそり入ってた。動物のお面はどれも素敵。センスがいい。セットは今回はそんなにすごいものがなくて残念だけど、ベルのおうちの背景がかわいい。

ショーはこれまたつまらなかったぞー。草野先生ももうお年なのかしら。『タカラヅカ絢爛』とか好きだったのになあ。

カジノの場面とか、ついこないだDVDで『霧のミラノ』のカジノの場面を見たばかりだったので、落差が激しすぎる。あんなセット作っておいて、あれだけかい。霧ミラはセットも何もないのに、かっこよかったぞ。もっとディーラーとかいろんな人を出して、オギーのショーみたいにしようとか、思わないんかい。世界一大会の場面も、ちょっとさぶい。中詰めの衣装の色合いがひどすぎる。ペガサスの場面は、内容がちょっと芝居とかぶるし。

よかったのは、まりもちゃんがパンツスーツでバリバリ踊っていたことかなー。男前でかっこよすぎる。ほかにも、きりやんが歌って、まりもが踊る、っていう組合わせがけっこうあって、これよこれ、これが観たいのよ。あとは、そのかがまた萌花ゆりあちゃんと踊っていて、うれしかった。

そうそう、大階段での男役黒燕尾が宝塚FOREVERの不思議なアレンジで、これは面白かった。

ONEって、タカラヅカのことだったのねー。新たな自画自賛ソングの誕生なんだね。でも、長く歌い継がれる曲になるかというと、うーむ。高橋城先生のメロディもちょっといまいちだったなあ。タカラヅカ賛美のショーなら、もうちょっとなんとかならなかったのかなあ。

One for allって、「学校を犠牲にしても自分の名誉を守りたいのか」(=一人が犠牲になって辞めればほかの全員は助かる)っていう、例の台詞のこと? All for oneって、全員で一人を監視するような状況? タカラヅカの美徳である団結力とか家族的つながりが、悪いほうに悪いほうに使われてることもあるってことを、裁判でつくづく知ってしまった今となっては、こういうお題目に素直に頷けなかったりする…。

まあ、そんな今だからこそ草野はタカラヅカ賛美のショーをやりたかったのかもしれないが。ドカンとタカラヅカ愛が伝わるほどのインパクトは、残念ながら無かったです。。。

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キャンディードとFRONTに学ぶ「日常」 [近況]

震災前後、電車の中で読んでいたのは『FRONT』という戦時中のプロパガンダ雑誌を作っていた人の回想録(『戦争のグラフィズム―『FRONT』を創った人々』多川 精一著 2000年  平凡社ライブラリー)でした。日に日に食べるものもなくなっていくのに、軍から紙が調達され、どこに宣伝するのかもわからないまま、ものすごく贅沢な雑誌を作っていた日々。花が咲くときに(空襲などで)存在しないかもしれない庭の薔薇に、とりあえず肥料をやるしかない日々。戦争が終わった焼け野原でも、雑誌を作ることしかできない日々。そんな本を読んでいたせいか、帰宅難民になった翌日、どこまで行けるかわからない電車に乗りながら、「戦時中の闇米の買い出しって、こんなだったのかなあ」と思ったりもしました。

その後の、電車が動いているかわからないし、停電になるかどうかもわからない日々は、戦争とは原因も大変さも全然違うけれども、なんとなく、その本に書いてある、混乱してるけどとりあえず目の前にあることをするしかない妙な日々と重なりました。こんなに非常事態なのに、「日常」しかできない違和感。こんなに非常事態なのに、とりあえずご飯食べて、寝て、仕事に行ってるって、頭がぐらぐらする。そのうえ彼らはアメリカの戦闘機を見上げながらカッコいい雑誌作ってたわけだからなー。

でも、冷静に考えるとそれしかできないわけで。そうすると、なんとなく、『キャンディード』を思いだしていました。ありとあらゆる災厄に見舞われ、善と悪を象徴する人物に翻弄されて世界中を旅する主人公が最後にたどりついた結論は、「とりあえず勤勉に耕そう」だったのです。頂点を極めた王様たちの亡霊が、「私はかつて王だったが、今は王ではない」と諸行無常を歌うナンバーの後、主人公は、目の前の日常を謙虚に行うことしかないと発見して幕が終わる。震災を経て初めてその意味が実感できたような気がしました。

なぜ今こんな話題を書いているかというと、ヴォルテールがキャンディードを書いたのが、1755年のリスボン地震を経た1759年だった、ということを知ったからです(なぜか岩波の広報誌『図書』5月号の編集後記で)。なるほど、私がキャンディードを思い出したのは、正しかったんだ! 何かを極めようとか、人を出し抜こうとか、もちろん最初から思ってないけど、でもどこかで「もっと楽しく」「もっと豊かに」「もっとスピーディに」と求め、「怖いことが起きたらいやだ」「苦労なんてしたくない」と怯えていたんですよね。そんなの、全然空しいことなんだな、と。観劇後1年経って、初めてヴォルテールの意図を理解できた気がします。(勤勉を実践できてないけど)

まあ、その「日常」が本当に良いことなのかどうか、っつーのは問題なんですが。良くないことを見てみぬふりしている大きな流れにまきこまれているのかもしれないわけで。。。放射線基準が引き上げられて、それでいいのか疑心暗鬼だけど、学校の先生たちは校庭で遊ばせるしかない。戦争に反対でも、一般人として日常をやり、目の前の雑誌を作っていた人たち。だからといって、良くないことをやめさせるような権力もなく。

本当に謙虚に勤勉な日常をやるってことは、ただ流され続ける日常とは違うのかもしれないな。本当に良いことがなんなのかを永遠に探し続けることも、含んでいるのかな。それが社会になかなか反映されなかったとしても。

『戦争のグラフィズム』は、戦争を知る世代として昨今の状況を危惧している著者が「日常の中でどう権力者側と向かい合うか」を書いた本。プロパガンダ雑誌を作って権力の側にいて、形としては戦争に完全にまきこまれながらの日常だったけど、それが芸術を守ることにつながり、のちにこうした反戦(声高ではなく、ごく当たり前の反戦)の本を書く。。。日常をやることでできること、日常をやりながらできること、日常をやってその後でできること。流されるだけじゃない勤勉な日常。。。ができたらいいな。

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復活

JR有楽町駅改札

夏はどうなることやら
P1000184.JPG

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緒月遠麻お茶会(5/1 ) [お茶会報告]

問題のキスシーンの演出が誰か、が明らかになったので、断片的ですがアップします!!

Q.ディアギレフさんは何歳ですか
A.30ちょいちょい。(えーーーー)見えないですか…??

Q.ヒゲは久々ですかね
A.けっこう昔からつけてて、『Romance de Paris』から、、、最近だとシュミットさんとか『リオ・デ・ブラボー』のお爺ちゃんとか、でもシンプルなヒゲは久々ですね。ヒゲは、好きです。(きゃーーー)

Q.最初、みなさんがいる中に出てきますが、
A.長台詞なんで、間違えないかそればっかり気になって。「昨年、シャトレ座で」って、言ってみてくださいよ。早口言葉ですよ。噛まないようにぼそぼそって言ってたら、「それじゃあ伝わらないよ、緒月くん」って言われちゃった。

Q.で、問題のキスシーンですが、やってらっしゃるご気分は…
A.本人たちはもう必死で。周りのほうが「はふはふ」言っちゃって。下級生たちがもうノリノリで稽古つけてくれるんですよ。彼等が「きゃー」っていうまで、稽古するっていう。

Q.台本にはどんなふうに書いてあるんですか?
A.「キスのあと、ややあって」とだけ。(ええええっ)

Q.じゃあ、ネクタイはずしは、
A.下級生の演出。下級生っていっても、主に蓮城まことさんなんですけどね。原田先生は横で顔真っ赤にしてるだけ(おいおい、原田先生〜)

初日は緊張しちゃって、親指がぷるぷるちゃって、やばいと思って、ぴとっと、開いていた親指を閉じたんです。そしたら、キングが「指とじちゃダメだわ〜、緒月さん」だって。なのに、キングの場面について、こうしたほうがいいよとか言うと、「はい、はい、すみません、はい」(笑)

濃厚ですかねえ? もう自分たちは麻痺しちゃって。

Q.最初はお二人は仲良しなんですよね。
A.そのへんはチギとも話し合って。牧神の午後あたりまでは上手くいっているという設定です。

Q.裏切られた後の怒りの場面は
A.楽屋に戻ったとき、五峰さんに「鼻息荒い」って笑われます。あそこは新聞の扱いが難しくてねー。今日の午後の公演から、電気スタンドがなくなったので、机に新聞を叩き付けるのがやりやすくなりました。

Q.ディアギレフさんの顔がつぎはぎのボードになってるのは面白いですね。
A.あれねー、スチール撮りのときに一緒に撮ったんですけど、そのこと聞いてなくて。原田先生、伝達忘れ多いんですよぉ。スチールはあんまりハッキリ描かないほうがきれいに写るって昔上級生に習ったんですが、あんな大きなボードになるならもっと繊細に描かないと、、だからラインとかガタガタなんであんまり見ないでください。

Q.最後のロモラさんとの戦いは壮絶ですね。
A.あそこはおネエ系の戦いでって言われて。キャットファイト。

Q.だから「子供を生むことはできない」なんて台詞が出ちゃうんですね。
真那春人さんに『ヴェニスに死す』を渡すっていうのもすごいですね。
A.気に入った子に渡すそうです。イヤな人ですね。でも、どの子にもヴァ−ツラフの面影を見ているんだと思う。

Q.キタロウくんご自身は『ヴェニスに死す』の本や映画は
A.見たことないです。(ばっさり)

Q.全ツチームがご観劇されたとか
A.もうねー、みんな興奮しちゃって。奏乃はるとさんが「私も鳥かごに入れて〜」って言ってました。みんなそう言うから、鳥かごが満員になっちゃう。

Q.最後にカーテンがあいて、みなさんに迎えられますが、お気持ちは。
A.うれしいですね、みんなに迎えられるのが。カーテン前に登場すると思ってました? ありがたいですね。
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ニジンスキー(宝塚バウホール 5/1 14:30) [観劇メモ]

(追記しました)

チギにこの役は合っている。強靭さ、繊細さ、透明感。(そりゃ、本物のニジンスキーのような跳躍力は到底無理だけども、そのあたりは求めていないからOK)美しいチギが悩んだり苦しんだり、あゆっちといるときにちょっとだけうれしそうだったり、それを観ているだけでも眼福。

作品としても破綻がなく、とてもわかりやすい。重い題材かもしれないけど、まとまってるから、そんなにどんよりしない。ミュージカルとしてはかなり綺麗。ニジンスキーとロモラが打ち解ける場面でのバラの使い方なんか、上出来。NOW ON STAGEで「原田先生は台詞と歌のつなぎとか、タイミングにこだわりがある」って話題が出てた。そういうセンスが「手堅い」と我々に感じさせる。

ただ、天才が自由を求めてうまくいかず狂ってしまう話、というのは、それだけでドラマチックだよねえ。まとまりよくて当たり前だ。そう考えると、『Je Chante』のときに「手堅い」と褒めたけど、デビュー2作目でも同じように「手堅い」だけなのは、いかがなものかと。。。。史実(原作みたいなもの)を、ヒロインの扱いを変えて、きれいにミュージカル化しただけなんじゃ…?? デビューあたりの作品では、「なんじゃこりゃ」と思われても、やりたいことが明確になっている作家のほうが、いいのでは。。。

だいたい、天才の狂気を描くには、人間心理が大雑把すぎる。たとえば、「独自の振付けで、肉体や若さではなく精神を表現したい」ってしきりに言うけど、その精神性をつきつめたら狂ってしまったということなの? それとも精神を認めてもらえなかったから狂ってしまったということなの? ディアギレフは自分の若さや才能しか愛してくれないけど、ロモラは精神を愛してくれたということ? 深い意味がありそうでいながら、つきつめないで曖昧なままだから、ニジンスキーに心底共感して観るところまでいかないのがとても残念。

それに今回は、役が少なすぎた。主要3人以外では、五峰さんと、あとはせいぜいシューマイぐらいしか印象に残らない。磯野さんがあんなチョイ役だなんて、きゃびいに何の役もないなんて、ありえへん。こういう点では、まだ『Je Chante』のほうが幾分マシだったよなあ。役が少ないってことが、わかりやすいの理由でもあるんだろうけど、宝塚歌劇としては×でしょう。

あゆっちは顔ぷくぷくで、そこが恵まれたお嬢様らしくて、ああ、こういうお嬢様なら苦労なんか知らなくてもその純粋さで天才の苦悩を癒すことができるのかもしれないな、と思わせてくれた。ミーマイでサリーがジャスパー卿の前で「顎で受け止めて」を歌うみたいな。って通じますかね? あのお爺ちゃんは下町っ子のサリーの気持ちなんかわかるわけないんだけど、なんか癒されるじゃん。(って、お爺ちゃんと一緒にされるあゆっち)

キタロウくんは久々のおヒゲがお似合い。ヒゲ好きな私はそこだけでまず、はふはふ。重厚な演技で立派な二番手ポジションでした。けど、どうしても「いい人」のように見えてしまう。ディアギレフはもっとイヤらしい人のイメージだったので、ちょっと違和感があった。でもそれはそれで、「この人も悩んでるんだろうなあ」と思える。

最後のほうでのあゆっちVSキタロウのバトルシーンはなかなか面白い。(でもこれ「おネエ同士のキャットファイトで」っていう原田諒の指示らしいんだけど、二人ともおネエキャラじゃないよねえ。)

五峰さんのバレリーナ姿はきれいだなあ。ちょっと年いった、でも現役バレリーナって風格が、いかにもそれっぽい。リサリサ、お高い女って感じできれいだなあ。出番少なすぎやろー。せしる、「愛」を経てメイクがナチュラルになった? キングのちょっと浅黒い感じで眼鏡でインテリっぽい嫌味な顔、なかなかツボ。翔ちゃんの女役は意味不明。大きすぎる。女役でブレイクさせたかったのかもしれないが、これは失敗だな。まあ、やってみないとわからないものだろうけど。

バレエの衣装はどれも綺麗だったな。
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ニジンスキーのすみれコード違反について [ヅカってなんだ?的記事]

バウ公演ニジンスキー、全体的な感想はあとで書くとして、まずは問題の…。

男同士の肉体関係をここまではっきり描いたのって、芝居では初めてだと思う。ショーで男役同士でチューするのは最近はよくあるけど、芝居で男役同士のチューをここまではっきりやったのは初めてなのでは? ショーなら一瞬だし、深く考えないけど、芝居だと二人の関係性とか、これまでのこととか思い起こさせてしまって、めちゃくちゃ生々しい。同棲してたんだ〜、同棲ね…うわーっ。

そういえば『studio54』でも、パトロン(越リュウ)がスター(みりお)の首筋にチューしてたな。保護者と被保護者という立場は今回と同じだ。でも首筋にチューなら、それだけかもねって選択肢が残ってるけど、今回はほんとのチュー。ディアギレフがニジンスキーにチューして、そのうえネクタイはずしまである。これはみんながザワザワするのも無理はない。

あともう一つは、「牧神の午後」の振りで、一人Hがはっきりわかる振付けになってたこと。

この2点が、作品の出来云々よりも目立ってしまう、いわゆる「すみれコード」を逸脱している点だと思う。

だけど、じつは私はこれらはそれほど気にならない。(特に2点目は史実通りにするしかない。)

むしろ、違うところが気になる。

それは、肉体関係を拒否するところ。キスシーンのあと、ネクタイはずしがあって、するとニジンスキーがディアギレフに「今日は疲れてるので、ちょっと…」って言うの。いやー、それは生々しすぎるでしょ。生活臭が出ちゃってるでしょ。キスシーン→ネクタイはずし→と来たら、暗転でしょ、タカラヅカ的には。そういえば『睡れる月』でも、やっぱり保護者(ヒロさん)と被保護者(かしげ)で、チューではないにせよ、そういう場面があった。けど、あれも暗転で終わってたはず。オトメにとって、キスより先のことはあいまいなまま、幻想的なままであってほしいのです。疲れてるから断るとかそういう生活臭は興ざめなんです。(これは男女の場面でも同じかも)

そして、一番、あ〜あと思ってしまったのが、最後の『ヴェニスに死す』のエピソード。ディアギレフは、気に入った男の子には『ヴェニスに死す』の本を渡すのだそうだ。『ヴェニスに死す』というと(私は映画しか知らないのですが)、年老いた男が美少年を追いかけ回す話でしょう。そこに文学的に深い意味があることはわかる。でも、タカラヅカの舞台で想起させないでほしかった。(気に入った男の子には『ヴェニスに死す』の本を渡すというのは、キタロウくんのお茶会で聞いたので、史実だと思ったんだけど、本当のところ、どうなんでしょう?)

なぜなら、我々ファンとジェンヌさんの関係みたいだから。いい年した女性たちが、自分よりずっと若くてきれいな女性に群がっている様子を、なんとか麗しい言葉で魔法をかけて成り立たせている世界なのに、魔法を解いてしまうような連想をさせないでほしかった。

原田諒はきっと、すごく真面目で、史実通りできるところは史実通りにしたかったんじゃないか。その真面目さで、ヅカファン(っていうか私一人かもしれないけど)のびみょーな心理を理解できないんじゃないか。という気がする。。。ヒロインをヒロインらしく変えればいい、というだけじゃないんだよ〜。

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ところで、ロモラが晩年追っかけしてたタカラヅカのスターって、誰なんだろう??
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