So-net無料ブログ作成

ゲームみたいなタカラヅカ [ヅカってなんだ?的記事]

逆転裁判を観て、気づいてしまった。そもそもタカラヅカがゲームなんだから、自分はあえてタカラヅカでゲームを観たくはない、とゆうことに。

タカラヅカって、閉ざされた世界の中、キャラやポジションがはっきりしてるし、出世レースの運と偶然の積み重ねは、終わってみないとわからないゲームそのもの。だから、タカラヅカとゲームにはすごーく親和性がある。

だからこそ、ゲームそのまんまのタカラヅカは、いやなんじゃぁぁぁ。

舞台の上では、タカラヅカがゲームであることをほとんど感じさせないような世界を確立してほしい。芝居や歌や踊りに、がーっと集中してほしい。番手とかあるけど、役付からいろいろ推察もできちゃうけど、それとは別次元で舞台の完成度を上げてほしい。それでこそ、裏にあるゲームも楽しめるってもんだ。

タカラヅカとは、背反する価値観をあわせもつ不思議な世界。序列にも、スター路線と学年順と二つあるように。その背反こそがタカラヅカを長らえさせてきたんじゃないか、と私は思っている。だから、ゲームであるシステム面と、まったく背反する演劇世界とが両立していてこそ、私の愛すべきタカラヅカなんだよな。。。少数派だろうけど。

::::::::本家はコチラです→a posteriori takarazuka:::::::
nice!(0)  コメント(0)  トラックバック(0) 
共通テーマ:演劇

逆転裁判(日本青年館 2/25 18:30) [観劇メモ]

自分がゲーマーでないことを、生まれて初めて残念に思った。だって、みんなのノリに全然ついていけない。みんながウケてるところ(小道具の大写しとか、要所要所でのいかにもゲームっぽい音楽とか、いかにもな萌えキャラとか、言葉遣いのはしばしとか)から察するに、ゲームそのまんまの部分が多かったみたい。パンフ買ってる男子ゲーマー二人組とか見かけたから、このコラボ、成功だったんだろうなあ。ゲームのキャラみたいな8頭身が現実にいて、しかもめちゃくちゃかっこいいってことがわかってもらえたんなら、よかったよかった。

けど…原作知らないものとしては、楽しめる部分がいつもより少なかったにょ。。。

だって、舞台の上がすかすかなんだもーん。ストーリーが進む→歌う→心情を表すダンサーが出てくる→ストーリーが進む、の繰り返しで、背景が変わらない。退屈じゃー。4組のカップルが踊る、ふむふむ、顔のわかる子いるかな……、え、まだこの場面続くの? 退屈じゃー。カプコンにお金払っちゃったぶん、セットとか衣装にお金かけられなかったってのもあるんだろうなあ。

特に1幕は状況説明だけで、キャラの背景がまったく描かれてなくって、どうしようかと思った。2幕でやっと、子供時代のこととか(学級裁判だけど)出てきて、敵役の心情も描かれてきたから、なんとか盛り返したけど(自分的に)。って、敵役の心情が描かれればそれで合格点って、ずいぶん低い合格点だけどさ、まあ、そんな程度でいいんですよ、ヅカファンは。でもそれぐらいは1幕でお願いしたいところなんですよ、頼んます。

裁判のやりとりそのものがドラマチックに進むのは、なかなか面白かったよ。鈴木圭は台詞は悪くないんだな。演出方法が平板なだけで。(あっ、「愛してる」連発のラブソングは芸がなくていただけないが。)

うーん、どうせゲームにするなら、もっと徹底的にゲームにしちゃってもよかったのかなあ。でもそれじゃあ話として成立しないだろうしなあ。それぞれを融合したら半端になってしまった、ということなのかもしれん。

あと、「愛する人を信じる」というのは、ほかの芝居じゃ説得力ないかもしれないけど、タカラヅカならなんとなく説得力があるから、弁護士が依頼人(=愛する人)を信じて最後に真実を暴いて救い、ラブロマンスとしてもハッピーエンド、というのは、ヅカ的にも裁判ゲーム的にも、ちょうどいい着地点だよね。着眼点には感心した次第。

らんとむ(蘭寿とむ)の犬キャラはやっぱりいい。あんな人に、信じてるって言われたら、きゅぅぅんだわよ。しっかり者すぎて悲劇を招いた才女のまちゃみ(美羽あさひ)。いい組み合わせだよね。そいでもって、七帆ひかる。単なるシロイルカかと思ってたら、いつのまにかかっこよくなって! 三白眼のクールビューティでユウヒ(大空祐飛)のあとを継げるかもね。すっしー(寿つかさ)の髭は久々だし、じんじん(風莉じん)はいい仕事してるし。メインキャラとそれ以外の差がありすぎると思ったけど、そういう人員配置なのかな? 下級生にももうちょっと見せ場があればよかったな。

::::::::本家はコチラです→a posteriori takarazuka:::::::

nice!(0)  コメント(0)  トラックバック(0) 
共通テーマ:演劇

楽しくなってきた 太王四神記 [ヅカ的近況]

脚本のアラを、ドラマの知識で埋めようとしたのが間違いでした。。。

ドラマの太王四神記と、宝塚版は、全く別物なのね。表面的な要素はけっこう同じだから、一見「うまくまとめたね」って思うんだけど、じつは、表面的な要素を取り出して、それを全部組み換えて、全く違うシナプスでつなぎ直してるんだ。

新しいシナプス、すなわち登場人物の動機や気持ち。

だから混乱する。表面的に起きていることは同じなのに、登場人物の動機がドラマと全然違う。設定とかじゃないの、根本的な感情。しかも、それにアラがある。なんでそんな台詞言いだすの? なんでそんなふうに思うの? ついていけなくなったとき、ドラマ版の記憶を呼び戻すと、全然違うからさらに混乱する。ううう。

でも、そういう離れ技ができるからこそ、イケコ、もとい、小池先生はすごいんだとも思う。スカピンの大泣かせどころの「ひとかけらの勇気」のエピソードも、原作の感情とは全然違うけど、日本人好みの「直接言わない健気さ」を猛アピールだもんね。エリザの落とし所が「愛」って、ウィーン版を見たら皮肉に思えるし、ヅカ版でもキャスト次第で成立しなくなる、あまりにも脆く修辞的なオチなのに、上手くはまると感動しちゃうもんね。

ふつー、このストーリーでそれは持ってこないだろー、というところに無理やりアクロバットな何かをはめこんで、一見するとつじつま合ってるように見せられる。。。。おそろしいわ。

⇒というわけで、ドラマ版との比較、改訂しております。よろしければご参照ください。
http://pt-omoitsuki.blog.so-net.ne.jp/2009-02-11-1
http://pt-omoitsuki.blog.so-net.ne.jp/2009-02-11-2
http://pt-omoitsuki.blog.so-net.ne.jp/2009-02-11-3

じゃあ、どーやって脚本のアラを埋めるのか。それはヅカファン得意の脳内補完! それについては明日以降に〜。週2の出待ちは、ひ弱な私の身体にはちとキツいよー

::::::::本家はコチラです→a posteriori takarazuka:::::::
nice!(0)  コメント(0)  トラックバック(0) 
共通テーマ:演劇

求められるデコレーション能力 [ヅカってなんだ?的記事]

ヅカファンワールド、自分には向いてないなあと思うことは、まだまだある。目先のことで言えば、デコレーション能力。

え? あんた、いっつも「どこで買うの!?」みたいな、変な花柄とか、派手な色とか、デコラティブな服着てるじゃん。と、友人たちは言うだろう。

だがしかし。ヅカワールドはもっとデコラティブなんです!! シンプル好きな友人たちからすれば、私はデコデコしてるだろうが、こんなん地味なほうなんです!!

そもそも、ジェンヌ本人が持つ水筒入れとか、すごいフリルとレースとサテンの世界なのよ。化粧前(とゆう、楽屋の鏡台を飾る布)も、すごいフリルとレースとサテンの世界なのよ。うわぁぁぁぁ、そりゃ、やりすぎじゃないのかい?? といつも思う。シンプルなの好きな人は、シンプルな化粧前を使ったりしないの? でも、周りから浮いちゃったりするの? 

まあ、我々ファンはそういうのは持たなくていいんですが。でも、ジェンヌとファンは相似形だから、そういうデコラティブなことがヅカファンワールドにも要求されるわけです。特にお手紙やプレゼント。ただでさえ可愛いものなのに、みなさん、さらにリボンつけたり可愛い箱に入れたりシール貼ったりしてるんです。そのうえイラスト描いちゃったり、ぬいぐるみ作っちゃったり。

そういうのが、自分的にはうまくできないんだよ〜。イラストもぬいぐるみも才能ないし、そもそも自分にゃセンスないから、下手に飾り付けるより買ってきたそのまんまのほうがマシって思っちゃうんだよ〜。

でも、何もしないよりは、したほうがいいのよね、きっと。

CS放送や機関誌で垣間見える、ジェンヌ同士のお手紙やプレゼント、色紙の類の、なんとデコラティブなことか。ジェンヌとファンは相似形だから、ジェンヌがジェンヌにデコラティブなものを送るのと同じく、ファンもジェンヌにデコラティブなものを送る。そこにあるのは、「愛するあなたのために心をこめて一手間加えました」という姿勢。フリフリの水筒入れだって、ファンが手作りしてるってところがミソなんだよね。

あーー、そういえば、中学生ぐらいまではそういうことしてたかも。友達にあげるものにしても、デコレーションしてたかも。お小遣いも少ないし、時間もあったし、手間ヒマかけるほうが心がこもってるって文化だったかも。授業中に手紙を書いて、変な折り方して友達に回したりしてたもん。それが、大人になるにつれて、金銭的かつ時間的理由もあるし、知恵がついてきたせいか、「やっぱ買ったままほうがマシなんじゃ」って思うようになったんだよなあ。

ってことは、中学生のころの乙女心が純粋培養されてる、それがタカラヅカなんだ。。。何度でも驚かされるよ、ヅカファンワールド。。。

::::::::本家はコチラです→a posteriori takarazuka:::::::
nice!(1)  コメント(2)  トラックバック(0) 
共通テーマ:演劇

ぺの東京初見 [観劇メモ]

小池先生最高!(演出が)

という思いと、

イケコわけわからんよ(脚本が)

という思いが交互にやってきて、

そのうえ「ドラマではここはこうだったから…」とドラマの記憶と照合してると、大混乱。

さらに、<贔屓>の化粧がムラと違って見えて、気になって気になって。。。

星組で再演って誰がこの役やるんだろう、やっぱセームはももさりだよなあ、とか考えだして気が散るし。

追い打ちをかけるように、自分の書いたドラマとの比較文章のあまりの文章力の無さに驚愕。

いかんいかん、次の観劇までに、なんとか持ち直さねば。

雪組のたっくん洋物楽しみだ〜

::::::::本家はコチラです→a posteriori takarazuka:::::::
nice!(0)  コメント(0)  トラックバック(0) 
共通テーマ:演劇

女学校、だけど平安時代の宮中でもある [ヅカってなんだ?的記事]

職場の後輩いわく。「どーせ男の人にスイーツのことなんてわからないんだから、バレンタインは女子同士でおすすめチョコを分け合うほうが、楽しいと思うんです」

はーい、はいはーい。ヅカファンはそれやってますー。

ファンがジェンヌにチョコをあげ、ジェンヌがファンにチョコをあげる。前者は、恋する乙女が、男(役)にあげる形なんだろうけど、後者は一体なんなのか。「男役の真似して受け取ってくださいねー」とか言われたけど、無理無理(笑)。楽屋ではジェンヌ同士でのチョコのやりとりもあって、ファンとジェンヌの関係はその相似。誰かへの思いを形にして手渡す…お手紙渡しも一緒だね。きわめて「乙女」な行動ですよ。タカラヅカって、ほんと「女学校」だよねええええ。

ま、「女学校」という喩えはよくあるけど、久々にガード(ファンクラブの出待ちのことです)してて思った。ガードの作法って平安時代の宮中みたいじゃない?

ジェンヌは身分の高いお姫様。中宮定子さまとかさ。ファンクラブの代表さんは筆頭の侍女(女房っていうの?)我々は侍女っていうか下女? 自分のお仕えしているお姫様にもちろん忠誠を誓うけど、ほかのお姫様がお通りになるときも、失礼にならないようにかしこまって、頭を低くするの。お姫様の中にも身分の高低があって、一番位が上のお姫様(の女房たち)が、いろいろルールを決めるの。(…単なるイメージですが。平安文学に詳しい人、教えてプリーズ)

不思議ー。前近代的ー。でも一番不思議なのは、儀礼的なことが大嫌いな私が、それを面白がってやっていることです。

しかし…。東京宝塚劇場で出待ちするのがちょうど5年ぶりなんですが。出待ちする人の数が減っているんじゃないかなあと思う(どのスターさんが、とかじゃなくて、全体的にね)。まあ、5年前はトップのサヨナラ公演だったけども。前近代的なファンクラブの仕組みが現代に馴染まないのかな(でも、5年前に比べたらメーリングリストとか、ポイント制とか、ちょっとづつ今風になってはいる)。いや、やっぱり昨今は、お金や時間の余裕がなくなってきているのかなあ。

::::::::本家はコチラです→a posteriori takarazuka:::::::
nice!(0)  コメント(0)  トラックバック(1) 
共通テーマ:演劇

相棒のヅカ回を見た [ヅカ的近況]

帝都歌劇団という名前は興味深い。昭和10年頃、東京が帝都と呼ばれていた頃、レビュー全盛期だったタカラヅカのイメージが、今でも続いているんだね。

トップ男役の顔はまるで悠未ひろ(えっ、奥山佳恵なのか)。紫雨という芸名は、ありそうで無いなあ。

ヅカメイクがなっちょらん。顔に陰影がない。少なくともダブルラインは入れませんか?

男役の声が高すぎるーーー。芝居もわざと大げさにしようとして、下手さが目立つー。

…新人公演の場面もあり、それなら納得な感じ。

退団後すぐに受験生向けのスクールを開くって、あんまり無さそう。トップ男役なら女優さんか寿か…だよね。

淀わたるって「淀かほる」と「那智わたる」の合体の芸名だ。

サインがありえねー。

7年でトップになる!? えええ? 天海祐希か!?(っていうかこのPC、一発で天海祐希を変換したよ)

新人公演は同期全員が集まる最後の舞台だという。しかも初舞台だという。うーー、違うーーー。でも、一人だけの有望な初舞台生をわざとセリから落下させるという犯罪をするためには、そうするしかないな。ふむふむ。

期ごとにマークがある! おもしれえ!

結論は、同期の絆でした。なかなかいいね。

もいっこ結論。パトロンとは怖いものだ。「チケットなんか全部買い占めてあげるわよ」「そんな嘘の人気なんかいらないわ」ひえー。心優しいパトロン様もいてくださることを切に祈る。

::::::::本家はコチラです→a posteriori takarazuka:::::::
nice!(0)  コメント(0)  トラックバック(0) 
共通テーマ:演劇

近況つらつらと [ヅカ的近況]

ウメちゃんのブリドリ最高。キャトルの店員体験って、あんた…。ファンだった人が入団して、トップになって、それで全然失望しないで今もこうしてヅカファンでいるって、すごいことだよね。

ウメちゃんと言えば。

だいぶたっちゃったけど、花組振り分けで一番ビックリしたのは、藤京子が6年ぶりに舞台に立つことです!! 2003年の『雨に唄えば』以来だよ。つまり、ウメちゃんが抜擢されたときだよ。6年といえばつまり、一人の娘役が抜擢されて、トップになって、退団する、それだけ長い時間すよ。何していらしたのですか、6年間。。。昔は当たり役があったやに聞いておりますので、楽しみにしておりますよ。

でも、女役の専科さんって、高ひずるさんとか千雅さんとか、上品でいい感じだったのに、あんまり出演しない人多いよね。やっぱり「女」ってのは年をとるのが難しいものなのかも。シビさんみたいに歌が上手いとか、城さんみたいに日舞が上手いとか、それに二人とも男役並みに押し出し強かったし。そういうことがないと、難しいのかもねえ。

話は戻って。

まりんちゃんの組長格って初めて? 楽しみ。さお太さんまたお休み? 心配。で、<贔屓>はキムシン組なんだが…、柴田作品だと、そこそこいいけど、古くさくて、そこそこどまりだろうなっていう…、キムシンなら大ハズレが大半だが(スサノオ)、大当たりもあるかも(王家)…ハイリスク、ハイリターンということで…。

全然違う話で。

緑豆の中性脂肪がすごい値なんですが。「キタロウくんが卒業するまで心筋梗塞になれないわよ!」「握手とかお手紙渡しのときに心筋梗塞になっちゃうかもぉ」「でもそれって、逆においしい…?」「えっ、キタロウくんに、大丈夫ですかっ? とか言って抱きかかえてもらえちゃう? 腕の中で死ぬのか〜、きゃー」それは本望だろうが、中性脂肪ってのがどうなのか……。かくいう私も高脂血症で…、あーん、乙女にふさわしくなーい。やめやめ、妄想やめ。

人事の話で。

月エリザには別に期待してなかったんですが。。。ねえねえ、マギーは〜? 園加は〜? マギーはマダム・ヴォルフだったりするわけ〜? だったらいいけどー。園加また黒天使〜? だったら、ブラックジャックの影みたいな感じで、いやいや、スカーレット2並みの黒天使でお願いしますよー。「あなたと私は裏表」みたいにさ。ふん。あたしの好きなオッサン風味の人も、活躍させてよねっ。

::::::::本家はコチラです→a posteriori takarazuka:::::::

nice!(0)  コメント(0)  トラックバック(0) 
共通テーマ:演劇

タカラヅカへの愛なら誓える [ヅカってなんだ?的記事]

いとこの結婚式に行った。カタコトの外人牧師が「スコヤカナルトキモー、ヤメルトキモー、チカイマスカー?」とか言ってて、笑えた。これなら自分も結婚式やってもいいかも。

…いや、待て。待て待て待て。

自分、キリスト教徒じゃないし。夫婦愛とかいまいち信じてないし。信じてない神に、信じてない愛を誓う、とか、無理だ。八百万の神ならまだしも…、うーん、でもやっぱ無理だ。夫婦愛も努力目標ならともかく…、いや、でも自分の傲慢さではあまりにも高すぎる目標だから、誓うなんてとてもとても。

じゃあ、何なら誓えるのか。小林一三翁の像の前でタカラヅカへの愛なら誓えるのか。

誓えるな。うん。

おいおい、即答かよ、自分。

信仰や夫婦愛は誓えなくても、タカラヅカへの愛なら誓えちゃうって、なんなんだろうなあ。そう思わせるものが、タカラヅカにはあるよ。

信仰や夫婦愛は体制に利用されることが多いけど、乙女ちっくな趣味は反体制だから、かな。信仰も夫婦愛も、もちろん素晴らしいものだけど、でも神の名のもとに戦争が行われちゃったり、富国強兵の名のもとに結婚出産が奨励されちゃったりするから、ちょっと抵抗があるんだよね…。

乙女ちっくな趣味はちょうどその逆で、一見すると体制寄りなんだけど、中身はアバンギャルドだから。タカラヅカって政治家とのつながりがあったりして、ストーリーもどちらかといえば保守的だし、男尊女卑に見える。でも、そのじつは乙女の危ない妄想がうじゃうじゃとひしめいていることからもわかるように、乙女だけの妙な世界が構築されて、外の視点が全く通じないというか、そんなものがあること自体意識すらしてないんだよね。その存在自体が、キラキラしたものを愛すること自体が、もはや反体制。

『愛と青春の宝塚』を私が大好きなのは、彼女らの健気さが、一見戦争に利用されているように見えながら、本質的にはまったく逆だからだ。彼女らが健気に 歌えば歌うほど、戦争がおろかに見える。彼女らの歌に兵隊さんが泣けば泣くほど、戦争が美化されるのではなく、あってはならないことだと明らかになる。「宝塚は今日の日本に不必要な存在です」と言われても、彼女らはタカラヅカを愛していることをやめないし、「女衒だ」と言われても、脚本家はいい脚本を書きたい。その思いは消えない。

汗水流して頑張っているタカラジェンヌは、世間のルールに則った「いい子」をやってるように見えるかもしれないけど、じつはそうじゃない。まったく別のルールで、清く正しく美しくをやってる。その「清く正しく美しく」は、信仰や夫婦愛のように現世のしがらみを纏っていない。少しも汚れていない。善のイデアであり、美のイデア。この世に存在しえないはずのもの。だから、たとえ努力目標でも、それに向って努力しようと心から思える。

「宝塚は滅びひん、この嶺野白雪が言うんやから、ほんまや!」と啖呵を切るトップスター リュータンさんに、「ステキー!」と叫ぶこの思いは、タカラヅカが内在しているアヴァンギャルドさへの、その美しさへの、そしてそれを一身に背負っている巫女さんたちへの、信仰心なんだ。つらいときに「リュータンmy Love」と歌って元気になるベニに感情移入するのは、アヴァンギャルドな「清く正しく美しく」に、自分がいつも勇気づけられているからなんだ。

…宗教じみてるだけに、変なしきたりとかも多いけどね…。しきたりやしがらみに惑わされず、病めるときも健やかなるときも、「清く正しく美しく」に向って努力することを、小林一三翁に、えっと、あと誰だ、春日野八千代様に、誓います。

::::::::本家はコチラです→a posteriori takarazuka:::::::
nice!(0)  コメント(0)  トラックバック(0) 
共通テーマ:演劇

太王四神記 ドラマとヅカの比較(3) [ヅカ的近況]

★キャラ別、違う人、ドラマではもっと細かく描かれてる人etc.

・ドラマでは、ヨン・ガリョは最初ホゲママにちょっと呆れてる。子ホゲにも「お前は本当に王にふさわしいのか」とか言ってるし。でもだんだんと変わってきて、プルキルに朱雀の神器を見せられてから、ホゲを王様にすることにこだわり始める。そして最後はファチョン会とも手を切って、ホゲのために神器を盗んで自害する。。。うーん、やっぱ難しいよね、この心の変化を2時間半の中に入れ込むのは。なるほど、それでわかりやすい悪役としてチョ・ジュドの設定を変えたのか。納得。

・チョ・ジュドはお調子者キャラでヅカ版と全然違う。(これなら、ヨン・ガリョ自害後はまたどこかの家に仕えてふつーに生きていくっていうふみか説もアリだと思うが…)

・タルビの設定も全然違う。ヨン家の使用人だった人で、ヨン家に夫を殺されたからタムドク側につく、といういきさつで、なんと、ご飯作りどころか軍用品の調達をまかされる部隊長になっちゃう! 

・チュムチはすごい怪力なのにシャイで、タルビに恋を告白できず、タルビのほうから「王様が(私たち二人が住む)家を用意してくれましたので」とまで先導されちゃう始末。二人のじれったい恋は大変ほほえましい。

・ドラマでは、契丹との戦いで、ホゲがタムドクを討とうとしたときチュムチが犠牲になり、怒ったチョロがホゲを襲うと、ホゲが隠し持っていた白虎の神器にあたり、死にそうだったチュムチが助かり、守り主であることが明らかになる。…ややこし。

・チョロは「僕は戦いたくなんかないんだ、でも戦っちゃうと殺人鬼になっちゃうんだ、うえーん、醜い僕を見ないでー」って、暴力を秘めた内向的な性格。これって、よくある類型だよね? なんだっけかな? ヅカの単なるナルシストとはちょっと違う。

・ちなみに、チョロは顔だけじゃなく全身の皮膚が青くシワシワで、神器を取り出されたあと、CGできれいになっていくの。これは舞台では無理だね。

・タムドクパパがとにかくかっこいい。これがあのギトギトした星原先輩になっちゃうのか?(笑)。ホゲママが言ってるように、先の王妃が他国の捕虜になっていたときに生まれた子供だから、王家の血筋ではないと疑われていて、だからずっと隠遁生活だったのだ。次の王に、と言われたときも、自分は王の器でない、真のチュシンの王=タムドクを王にするまでの仮の王だと思ってる。仮の王として立派に役目を果たそうとして、沈思黙考、そしていつも目は優しい。素敵すぎる〜。

・ヅカ版ではパソン姉さんのお兄さんは冒頭で死んじゃうけど、ドラマでは神器を持って逃げ延びてる。ホゲが探し出し、パソンはそれを確認させられ、お兄さんが命を賭けて守ろうとした神器をホゲに渡す形になってしまい…鬱状態。「この手を切り落としたい」と嘆くと、タムドクに「この鍛冶職人の手は、お前だけのものではなくみんなのものだ」と言われ号泣。ええ話や。

・それにしても、兄妹ともに鍛冶職人として大成してるってことは…。ドラマでは冒頭の場面も大人の役者がやっていたので、少なくとも10代後半? 鍛冶見習いはしていた年だったってことなんだろうね。ヅカだと子役って感じだけど。

・ヒョンミョンはパソン姉さんのことが好きみたい。パソン姉さんにその気はないようだが(笑)

・最終話のアブルランサでの対決で、フッケ将軍、コ将軍が死んでしまう。かなり白髪になってたし。フッケ将軍は好戦的でいつもやる気満々でかわいい。コ将軍は静かで穏やか、数少ない台詞に泣かされる。どちらも素敵なオジ様でした。

・タムドクは一人で敵陣に出かけちゃったりして、全然言うこときかない王様。従来の戦い方とは違うことを考えてみんなを心配させて、でも最後は大成功、ってタイプの人。ちなみに、将軍たちも、勝手に動いたりして、全然言うこときかない部下。なのにすごい仲良しなのが、いい感じ。

・セドゥルがずーずー弁じゃない。しかもちょっとかっこいい。フッケ将軍はずーずー弁かも? 韓国語だからようわからんが。

・チョク・ファンはとにかく生真面目な人。騎馬隊は貴族の子弟が入る精鋭部隊で、なるほど、最初は大体の貴族はヨン家の味方だから、だからホゲについてるのかな。最期は、ホゲの身代りとして自分の首を差し出すことになる。めちゃめちゃおいしい。

・チョロに攻撃されてプルキルがすごい弱って、老けちゃってる場面もあったな。弱ると魔力がないから老けちゃうんだね。

・サリャンは、キハがプルキルを殺そうとしたとき、プルキルがサリャンを盾にして、結果、キハがサリャンを殺してしまう形で死ぬ。ヅカ版の、「サリャンがキハを守ろうとして、その結果殺された」というのも、一応、根幹は一緒なのよね。

・プルキルはヨン家に最初に訪れたときから神器の話をしてる。資金援助云々って言ってない。ドラマではヨン・ガリョは最初っからプルキルが火天会の長老だって、わかってたみたい(もう一度見直す気力はない…レンタル屋に返しちゃったし)。ヅカ版ではヨン・ガリョは気づいてなくて騙されてて、チョ・ジュドだけ気づいてるってふうだよねえ?? 

・ヨン家の思惑どおりにホゲが勝たないから、部族長たちが仲間割れを始めた。ほほう。息子を殺したのはタムドクではなかったと知った部族長が自害したりする。

★髪型比べ

・ふみかちゃん(紫峰七海)が一瞬やってるパソンのお父さんの役って、すっごいハゲチャビン…。この髪型まで真似しろって言われなくてよかったぁ。

・部族長たちの髪型、ドラマとヅカ版と違う。全員真似したんじゃないんだ? じゃあ、らいらい(夕霧らい)やレネ(紫陽レネ)のあの髪型はオリジナルなのか?。すごい凝ってるし、似合ってるよね。感心感心。

・ヒョンミョン、髪型は確かに一緒だけどさ…、だいもん(望海風斗)のあの美しい顔とは違いすぎる(笑)

::::::::本家はコチラです→a posteriori takarazuka:::::::
nice!(0)  コメント(0)  トラックバック(0) 
共通テーマ:演劇