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愛と青春の宝塚(5)タッチーという主人公、影山先生という主人公 [観劇メモ(ヅカ以外)]

今日がコマ劇場の千秋楽ですか〜。小林一三が「あのコマ状のセリのてっぺんに春日野八千代を立たせたい」と作った劇場がなくなってしまう(春日野八千代大先生は御健在なのにね)。扇形になってるから、端の席だと、普段は絶対に見られない構図で舞台を見れるのが好きでした。しかも端のA席が安くって、でも劇場窓口でしか売ってなくて、昼休みに歌舞伎町まで買いに行ったもんです。ところで、あのコマ状って、ベルばらのウェディングケーキみたいなセットと似てるけど、元々は誰の発明なんだろう。

さてさて、まだまだ続く愛青話。

テレビ版と大きく違うな、と思ったのが、タッチーと影山先生の心の動きが明確なこと。心の動きが大きい人=「主人公」なのだとしたら、主人公はリュータンではなく、タッチーと影山先生だろう。まるで、『銀ちゃんの恋』の主役は銀ちゃんであっても、真の主人公はヤスであるみたいに。そこに絡む小夏も大きく心が変化するから、あの三人に、リュータンとタッチーと影山先生の関係性がかぶる。

じつは、タッチーにすごい感情移入しちゃったんだ。特にかしげ(貴城けい)タッチー。最初、タカラヅカに対して素直になれなくて、気持ち悪い、キラキラしててやだ、と思ってるのが、すごく自分に似てると思って。(いや、ジェンヌに自分を喩えるなんて、不遜だとじゅうじゅう承知しておりますが…。)ほんとは好きなんだけど、なかなか好きって言えないところが、似てるんだもん。かしげタッチーは頑な演技がすごい上手い。(サエコ(彩輝なお)タッチーはナチュラル。。。だけど、スターオーラがすごくて、昔風のスターさんっていう説得力はある)

タッチーは、同期をおしのけてでも出世したいなんて思わない。リュータンが自分のせいで怪我して、「次のトップはあんたや」と言われても、ずっとうつむいてる。リュータンにビンタされても覚悟を決められない。(この場面、テレビ版では、「次は自分です」という決意に満ちた顔をしてる)それが、ラスト、焼け野原でもんぺ姿で踊る、終戦の喜びに満ちたみんなを見て、覚悟を決めると、急にぱぁーっと明るい顔になって踊るでしょ。あんな笑顔見せるの、速水中尉とのタップダンスシーンとあの場面だけなんじゃないの? ってぐらい。その落差に、「素直になれてよかったね」ってこれまた泣いちゃうんだ。

影山先生も、戦地慰問に行ってからというもの、ずーっと苦い顔をしてて。テレビ版と違って、自宅ですごい酔ってるし。リュータンに「先生の才能はすごいで!」と励まされると、も〜、涙をすごいこらえてるのよ。その顔みてると、こっちもまた泣けてくる。タッチーのこと好きだったのが、リュータンを好きになる、その理由が、単にリュータンが素敵だからってことじゃなくて、自分の生き方そのものを動かされたからなんだよ。心の動きの振幅の、なんと大きなこと。

石井一孝の熱い演技もいいんだよね。ブログでジェンヌたちを「娘」と呼んでくれてて。観てるほうも「先生」って慕ってしまうなあ。前にスカステのOG番組でコムちゃんと話してたとき、すっごく面白かったかから、いいイメージしかないし。

さーって、静岡のチケットとるかな〜。
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愛と青春の宝塚(4)テレビドラマ版と比較 [観劇メモ(ヅカ以外)]

録画してあったので、6年ぶり? 7年ぶり? に見てみた。(背後で踊ってる現役生徒探しもかねていたが、わがご贔屓の姿は大映しにならず…目が疲れた〜。そして脳裏には、十輝いりすがヌボーっとリュータンさんを見上げる顔だけが残る…)

まず、米倉涼子演じる室町エリっていう役が舞台ではなくなってるわけで。これ、単に、3時間の舞台におさめるためにカットしたのかと思ってたし、「恋よりも」というタイトルに反して、恋に生きてしまうキャラだから、散漫にならないようカットしたのだと思ってた。でも、それだけじゃないってことに気づいた。

★舞台では、生々しい出世争いは避けた
エリがいないことで、同期どうしの出世争いのニュアンスが薄まってるんだ。男役スター同士、タッチーとエリがライバルだったのが、舞台では全くなくなっている。娘役としては、ベニのチャンスをトモが奪う場面があるけど、ベニのキャラのおかげでそんなに深刻になってないし。

出世争いという点では、タッチーがリュータンを追い抜くというのも、舞台版のほうが薄まってる。テレビ版では、大劇場最後の日にリュータンが倒れて、タッチーが代役を務めるんだけど、リュータンは自分の役を渡したくなくて、病気をおして大劇場まで這って来る。なかなか壮絶なんだよね。それに、リュータンが顔を怪我して去る場面でも、タッチーに向かって「あんたのせいや」と言ったりもしてて、観てるほうは辛くなる(もちろん、サバサバした言い方だけど)。

でも、それを舞台でやられちゃあ、生々しすぎるよね。ましてや、本物のタカラジェンヌ。だから、舞台では出世争いはほとんど出てこない。正解だ。

★舞台では、みんな仲良し! 
なんたって舞台では、テレビ版に比べて、全体的にみんな仲良しに見える。テレビでは、下級生がリュータンを悪く言ったりもしてるけど、舞台ではそんなニュアンスは微塵もない。

でも、そういった表面的な違いだけじゃなくて、そもそも、出演者が本当に仲間だったからっていうのもあるんじゃないかな。本気でトップスターを慕ってる、本気で仲間だと思ってる。これは、本物のタカラジェンヌでなくちゃ出せない雰囲気やでー。

★ミュージカルならでは
あとは、ミュージカルっていうせいもあると思う。歌って踊る、見つめあって微笑みあって、、、これで仲良く見えないわけがない。

ミュージカルならではの改変といえば、速水中尉の設定。なんと、テレビ版ではロシア文学の人なのだ! チェーホフの台詞を朗読しちゃうのだ。映像の中で、素敵な台詞をつぶやくのはかっこいいけど、舞台でやったらあんまり効果ないよねえ。そこで舞台では、アメリカ文学の人で、ブロードウェイ好きってことに変更して、船の甲板でタップダンス踊ってしまうわけ。なるほどねー。

ミュージカルってすごいなって思う。だって、テレビ版では「狼なんかスキヤキにして食べたるで」の場面の、あっさりしてること。もちろん、トモの病気の告白でみんなシーンとしたところに、リュータンが明るく「トモは私が守ったる、狼なんかスキヤキにしたる」って言うと、「リュータンさん、素敵!」とは思う。

だけど、舞台のあの場面はそんなもんじゃない。楽しいスキヤキソングにのせて、狼なんか怖くないで〜とトモを、そして自分たちを元気づける健気さ、おかしさ、かっこよさ。笑いながらも号泣。「リュータンさん、素敵!」が10倍ぐらいの大きさの字になる勢い。感情がぐわぁぁぁっと動かされる、これがいいんだよ、これこそがばかっつらなんだよ、ミュージカル。

★メッセージ性
私が大好きな、リュータンが影山先生に「こんな時代やから、娯楽が必要なんや」と言う場面も、テレビ版ではセリフだけだからか、すごく淡々としてた。「この戦争は正しいって思ってた。でも慰問に行って考えを改めた。国のために喜んで死んで行く人なんて、ほんとはいない」というセリフがなかなかいい。リュータンが素直で、おおらかで、すごくかわいらしい人なんだなって思えて、影山先生がそこでリュータンを好きになったってことがよくわかる。そもそもこの場面、テレビ版では影山先生は酔っていない。単に家でのんびりしてるだけなの。普通のトーンで「女衒て言われてもおかしくない」と自嘲してるだけ。だから、内容的には反戦の内容でも、メッセージ性が強い場面ではなく、どちらかと言うと、影山先生がリュータンを好きになる場面という位置づけ。

一方、舞台版では、影山先生がそもそも「俺には生きる価値もない」ぐらいに落ち込んで酔っ払っている。だから、リュータンも、淡々とではなく、激しく叱責し、励ます。もちろん、歌で。だからこの場面が、単に影山先生がリュータンを好きになる場面ってだけじゃなく、表現する人に対する応援の場面になってる。テレビ版ではそれとなくしか伝わらなった、エンターテイメントを守ろうっていうメッセージが、舞台版では、ビシビシ伝わってくる。これは意図的に改編したんだろうし、ミュージカルということでさらに効果があったんじゃないかな。

★すみれコード遵守?
ちなみに、その場面のあと、テレビ版ではリュータンと影山先生がHしてるのだ!! ほえ〜。で、翌朝、影山先生のネタ帳を見てしまい…というのは舞台と同じ。やっぱり、舞台では生々しい恋愛模様は避けているんだね。テレビでは速水中尉がタッチーにプロポーズしてるのも驚きだ。すっかり忘れてたよ。

それにテレビでは、リュータンがそのあと、タッチーとも影山先生とも口きかなくなっちゃうの。おいおい、器が小さいだろー、と思う。舞台では、そのあとすぐトモの死の場面に行くから、「リュータンはさっきのショックを胸におさめたんだな、えらいな」って思えるものね。リュータンが立派な人になってるのも、舞台版の特徴だ。

★つまりは、舞台はヅカファンがうれしいようになってる
だって、トップスターが下級生に口きかないとか、下級生がトップスターのこと悪く言うとか、実際はあるかもしれないけど、ヅカファンは知りたくないもん、そんなこと。表向きはつくろってほしいもん。トップスターはみんなに慕われる立派な人で、みんな仲良しで、タカラジェンヌは生々しい恋愛はしなくて、恋よりも舞台を選んで、そういう世界であってほしいもん。

舞台版で追加されたエピソードとして私が一番好きなのは、トモが接吻する兵隊さんが、ヅカファンだとゆうことです。「本物の嶺野白雪さんだ!」と驚く兵隊さん。トモと話しながら「星風鈴子さんとこんなふうに話したなんて聞いたら母は驚くだろうなあ」とうれしがる兵隊さん。そこに自分を投影してしまうし、同時に、「こんな戦地にもあたしらのファンがおった」と喜ぶジェンヌたちの姿にも自分を投影してしまう。遠く離れた土地で出会った、今までまったく知らない人だったのに、ただタカラヅカという言葉だけで気持ちが強く結ばれる、その親しみ、タカラヅカのすごさ。そのうえ、兵隊さんは明日死ぬかもしれなくて、「母に伝えることができなくて残念です」と言うところで、また泣いてしまうんだよね…

小ネタ。
・タッチーと速水中尉が最後に会うのは、「島屋旅館」でした。今はワシントンホテル内に和食屋さんとして残ってる島屋旅館。芸細かいね〜。
・リュータンという愛称の由来は、苗字が竜崎だからなのだった。ほー。鈴木さんがスータンさんになった、みたいな感じだね。

その他の違いメモ
・トモが死ぬのは舞台の上。昭和20年5月に映画館で再開した公演中。かなり不自然。
・タッチーの戸籍上の父親が何度か出てくる。
・リュータンが影山先生にお弁当(ひどい代物)作ってあげたり、豪邸を軍隊に貸してあげちゃって寮に来たのはいいが狭くて文句言ったり、というリュータン間抜け談がけっこうある。
・慰問についてった先生は男性。舞台のように女性のほうが、「接吻」に驚く場面がしっくりくるなあ。女性同士で清く正しく美しくを互いに守りあってるほうが、ヅカファン的には納得がいく。男の先生にそんなこと注意されるだろーか?
・影山先生は、戦地で兵隊さんにほんとに「女衒」て言われてた
・エリたちがアメリカ公演行ったことになってた

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エリザベート(帝国劇場 12/14 17:00) [観劇メモ(ヅカ以外)]

いーちゃんさん(寿ひずる)、素敵—! と掛け声かけたくなるような、大芝居。うーん、かっこいいなあ〜。ちょっとエリザの世界とは違うかもしれないけど、でも、王族のつらさみたいなのも伝わってきたよ。前に観た初風ゾフィーも気品があってよかったけど、いーちゃんさんのは男役ならではの強さがあるね。

って、本来の目的はコム(朝海ひかる)シシィなのだった。頑迷。とにかく頑迷なシシィ。誰も寄せ付けない、透明で頑なで冷たいシシィ。ヅカと違って、最後まで「私だけに」と歌うから、イメージにぴったりに思える。けど、狂気が足りないな。頑迷なんだけど狂ってもいる、っていうシシィが観たいなあ。高音も自在に出せるほど歌が上手くなったら、狂気がほとばしる表現ができるのかもしれない。今のコムちゃんは、危なげなく歌うことで精いっぱいで、それが頑迷さをより強調しているように感じる。あと、メイクが薄すぎ。それじゃ研なおこだってバレちゃうよー。

武田トートは笑っちゃう。イケてないビジュアルバンドの人みたいで、面白い。うにゃうにゃ歌ってて、なんじゃそりゃー。でも、「かっこいい俺を見て〜」ってノリが、シシィへの執着に見えなくもない。もしこれが、山祐トートだったら、冷たい二人で全然かみ合わないんじゃないか。そういえば、RENT観たとき、すぐ近くに武田真治もいたのよ。ファンに握手を求められて、愛想よく応じるトート閣下。背も低いが腰も低いのだった。

トートはハプスブルグ家を滅ぼす貧乏神。内野トートもそうだったけど、なんか「貧乏神」に見えるんだよね、トートが。で、エリザベートとルドルフだけに見えている。もしくは、彼女が連れてきた。…そんな解釈が容易に浮かんできて、やっぱりヅカ版はトートを主人公にするってことでたくさん矛盾があるんだな、と改めて思った。

南海まりが出てるのね。ヘレネでは馬鹿っぽく、娼婦は人形みたいにかわいく怖く演じ分けていて、さすがに上手い。スターレイがいい声だと思ったら、久路あかりだった。シシィパパって昔っから村井国夫さんだったっけ。素敵な低音だわん。最近、おじさんにばかり目が行く…ふみかちゃん(紫峰七海)がもしずっと辞めないでいたら、順当にやりそうな役だよなー、ダンディーで優しいけど、遊び人でキ印…ぐふふ(フランツも観てみたいけど、それはさすがにないだろう…)。

セリフがすごく変わってた。直接的な説明が多くなってた。それはまあ、それでいいいんだけど。。。小道具とかがなくなってるのがいまいち。「私だけに」の前は、刃物で自分を刺そうとしないと、最後にルキーニに刃物で刺されることとのリンクがなくなっておかしくない? フランツと初めて出会うところで、鹿の角を折るエピソードがなくなってるのは具体性に欠けてて不自然じゃない? 装置も、幕前芝居に使う扉がちゃちく見えてしまった(そもそも、the幕前芝居ってノリがいまいち)。

ところで、ルキーニって大変な役なのに、どうしてWキャストにしないんだろう。高嶋兄(エッセイ集のタイトルが「高嶋兄」って、自分のことよくわかってるよね、高嶋兄)でもいいけどさ、ほかの人でもいんでないの? って、具体的に誰なんだろう。スターなんだけど、三枚目でもあり、色気もあり、3〜40代。あんまりいないのかなー。川崎麻世のルキーニとか、ありだと思うが。

ところで2.トートダンサーの振り付けが虫みたいで、気持ち悪かったー。それに、上半身脱がなくていいのにー。別に男の裸体みてもねえ。(と言ってたら、緑豆に猛烈に反論された。「鍛えられた男の裸体は美しいんだから! ラ・カージュ・オ・フォールの男性ダンサーの足の美しさときたら!」…女の子のほうが美しくない? 「きれいな女なんて、いくらでもいるわbyゾフィー」…ゲイワールドにいけば、きれいな男の裸体なんかいくらでも…「そういう狙ってるのはダメ、清く正しく美しく舞台に精進してる肉体が美しいのっ」男の裸体について、夫婦の間に暗くて深い河がある…)

そうそう、ラ・カージュ・オ・フォールすごくいいそうで。男性ダンサーの足のみならず、ヅカファンなら絶対楽しめるのだそーです。山崎育三郎のかわいさも必見だそーです(また男かい)。私が観るのはまだ先なので楽しみ。

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RENT 映画版を見た [観劇メモ(ヅカ以外)]

シアタークリエ公演の感想はコチラ→http://pt-omoitsuki.blog.so-net.ne.jp/2008-11-19

すごいいい話だ! 曲もいい! みんなが夢中になるのがわかる。あーー、映画を見てから舞台を観れば、まだマシだったかも。いや、でも、そんな、観客全員がストーリーを把握してなくちゃいけない舞台なんて、ダメだよねえ。

ニューヨークの雰囲気ってのが重要なのね。成田美名子の『サイファ』を思い出した。危険もいっぱいだけど、チャンスもいっぱいの街。「ニューヨークは堕落している」「サンタフェでレストラン開こう」と歌いつつも、本気で行く気なんかなくて、むしろ地下鉄の中でそんな歌を歌ってることがほんとは楽しい。「No day but today」「言うまでもなくパパとママが大嫌い」…自分は芸術家じゃないけど、エイズじゃないけど、でも言いたいことはなんとなくわかるよ。今を生きるしかないっていう若者の叫びがね。わかるわかる!

なんで舞台だと、わからなかったんだろ。。。

単純に、伝わる情報が違いすぎた。映画は字幕だが、舞台では台詞や歌詞が聞き取れないところが多かった。誰がエイズで、誰がエイズじゃないか、ミミとベニーは昔つきあってたとか、聞こえなかったぞー。映画だと表情がアップになるが、舞台だとアップにならない。だから舞台では映像とは違う動作や言い回しをしなければいけないのに、そういう演技がなされてなかった。だから、その場面でその人たちがどんな気持ちになったか、全然わからなかった。(動作だけでなく、舞台では、ミミが病人顔のメイクしてなかったことも信じられない。)ラストで、マークは映像を、ロジャーは曲を完成させて、だからある程度話にオチがついた、ということすら、映画を見て初めて実感できた有様。

しかも、主要キャストのほとんどが、舞台のオリジナルキャストと聞いてビックリ。舞台の演技もできて、映像の演技もできるんだ、すごすぎる。あーあー、舞台で、クリエのとは全然違う演出で、できれば芝居もできるキャストで、でもあくまでも日本語で(すんません、生の舞台で英語は無理なんす、自分の語学力)観てみたいなぁぁ…。

ただ、元々の舞台もそうなんだろうけど、サンタフェに行って帰ってくるのは、別にやらなくてもいいのでは…映画だと一曲の中で映像流してはしょれるけど、もとの舞台の演出ではどうなんだろう、かなり散漫になりそう。

舞台と違っていた場面をメモ。
★エンジェルが死んだあと、ゲイだから葬式あげられないとかって話、舞台であったよね? 映画ではなかった。
★エンジェルが死んだあと、コリンズがベニーに「あんたの家の犬を殺したのはあいつだぞ」って映画では言ってなかった。
★マークは映画ではワイドショーの仕事、辞めてない? 歌の中でそれっぽい歌詞あったけど、決意しただけってこと?
★ジョアンヌとモーリーンの婚約パーティが映画ではあった。

あとね、私、ロジャーってキャラが嫌いやねん。かっこつけすぎやねん。ミミがベニーとより戻したかもって気になるなら、言えばええやん。かっこつけて、でも怖いから、結局うじうじ避けてるだけやんか。モーリーンとジョアンヌみたいに喧嘩しちゃえばええんや。まだ、マークみたいに情けない男子のほうが、全然好感もてるで。(←リュータン乗りうつってる)

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愛と青春の宝塚(3)リュータン、トモ、ベニWキャスト比較 [観劇メモ(ヅカ以外)]

(12/22追記)

リカちゃん(紫吹淳)のリュータンのいいところは、男役声と女の声とがコロコロ変わるところ(喉に悪そうだけどね)。男役でありつつ、女性でもあるってことがびしびし伝わるし、リュータンの気まぐれさがよく表現できてる。っつーか、とにかくしびれるわぁ、あの声は。血糖値あがるあがる。その点、ワタル(湖月わたる)のリュータンは極端に低い声が出ないぶん、そこんとこはちょっと損したかも。

けど、ワタルのリュータンは本当にトップでリーダーだなあって思う。戦地の慰問も、この人の下でなら頑張れる。そして、すきやきを誰よりもたくさん食べそうっていう説得力がある。太陽としてのトップスターはワタルリュータン。気まぐれでわがままでチャーミングなタカラジェンヌはリカリュータン。どっちもいいのだ〜。

明らかに役作りが違うところがけっこうあるよね。特に、顔にけがをした後が顕著。ワタルリュータンはけっこうサバサバしてる。だから終わり方もすかっと爽やか。影山先生に結婚を申し込まれて、楽しくなっちゃう。でも、リカリュータンはかなり悔いが残ってる感じ。本当はずっとスターでいたかった。だから、終わり方が切ない。影山先生に結婚を申し込まれて、よかったね、ともらい泣きしそう。どっちもいいのだ〜。

それぞれ、素の部分(みんなのリーダー=ワタル、不思議キャラ=リカちゃん)が出つつ、でもリュータンという役になりきってる。このダブルキャスト、大成功やないの? 

リカファン的には、かなりの当たり役だと思ってるんですが、その理由を考えると、『グランドホテル』のフラムシェンと近い、というところに行き着く。一人で熱くなってて、ちょっとおバカかもしれなくて、でも一生懸命で、ってとこが似てない? もちろんリュータンさんはトップスターで立派な人なんだけど。最後、幸せになるところも似ているし。…こういう役が合うのであれば、『BOY FROM OZ』で何度もやったライザ役ではなく、ツレちゃんの当たり役のジュディ・ガーランドもできるのかもしれないな、などとかなりおこがましいことを思ったり。

ベニの二人もそれぞれの持ち味があって面白い。えみくら(映美くらら)ベニは小さくてちょこまかしてて、ちょっと田舎者。るいるい(紫城るい)ベニは高い声で人形みたいで、ちょっとうざい。どっちもかわいいのだ〜。えみくらの押し出しの強さには、改めて驚き。現役時代、この押し出しの強さをけっこう楽しんでいたかも。

今回、リカくらという組み合わせがないのは、何か大人の理由なのかと勘ぐっていたけど、観て納得。かつて(たとえ似合っていなかったとしても)恋人同士をやっていた相手役同士が、ですよ。トップスターとそれを慕う下級生って組み合わせで、頭ぐりぐり撫でられて「あほやなあ」とか言われちゃう図を想像するとですよ。あー、やっぱりこの二人って、親子みたいなトップコンビだったよね、って本音がクローズアップされちゃうと思うんだよね。もちろん、それはそれとして、それぞれ当たり役とも言える今回の役を、二人の組み合わせで観てみたい気持ちもあるけど。

トモは、死にそうな場面とタップダンスは星奈優里、歌と「トップになるのよ!」っていう勝ち気なところは大鳥れい、かなあ。どっちもいいよ。リカリュータンとの組み合わせで言うと、ダンス上手な星奈優里、昔リカちゃんに憧れてたっていう大鳥れい、どっちもいいね^^

タッチーについては→http://pt-omoitsuki.blog.so-net.ne.jp/2008-12-22

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愛と青春の宝塚(2)タカラジェンヌがタカラジェンヌの役を演じるということ [観劇メモ(ヅカ以外)]

元タカラジェンヌが、タカラジェンヌの役をやる。始まるまでは、そのことを気にしていたらしい。本人たちも、ファンも。素の自分と役との区別がつけにくい、裏側を見せてしまう、と。

でも、全然問題ないっしょ。むしろ、素晴らしい効果をあげてるっしょ。

タカラジェンヌってのは、それだけでひとつの技能なんだな、と。テレビで見たときに、女優さんたちのあまりの男役芸、娘役芸のなってなさに驚いたけれども、あれって、やってた人でなくちゃできないもんなんだなあ、と今回つくづく思った。バレエ習ってた人しか、舞台でバレリーナの役がやれないぐらいに、タカラヅカ芸はタカラジェンヌでしか披露できないものなんだわよ。

そのうえ、一応女優業もやっているから、女性の役の演技もできる。いい企画なんじゃないですか〜、これ。もちろん、話の骨格がしっかりしているから、素の自分と役との区別云々言うヒマないってのが大きいのですが。

ただ、主題歌がどーーしても気になる。一番いいところで歌う、「ジェンヌは舞台に命かけてるんだ、それがタカラヅカなんだ」って感じの歌。

これがねー。「知らない曲だ」と思って、一瞬、ひいちゃうんだよね。タカラヅカには自画自賛ソングがあまたあるのに、なぜ使わないの? 『宝塚我が心のふるさと』じゃいかんの? やっぱ、三木たかし大先生に新曲書いていただかないとダメなのん?

たぶん…、『宝塚我が心のふるさと』じゃ、話の主旨と違っちゃうんだろう。自画自賛ソングはどれもノスタルジーがテーマだから。在団しているのに「ふるさと」と歌う、不思議なところタカラヅカ。その不思議な精神こそが、タカラヅカをこれだけ永らえさせてきた。

だけど、この話は、今を生きているジェンヌの話だから。今を生きているジェンヌの本心が、「今、舞台に命かけてる、夢でもふるさとでも憧れでもなんでもない、現実なんだ」であることは、戦時中も現代も変わりはないはず。舞台ではノスタルジーを打ち出していても、現実には裏ではいろいろあって苦労を乗り越えているんだもんね。

当初の予想とは全然違って、意外にも、主題歌を聞くときだけ、タカラジェンヌの裏側が舞台に乗っちゃったなああって、生々しく感じるのであった…

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愛と青春の宝塚(1)ヅカファンにだって立派な役目がある [観劇メモ(ヅカ以外)]

一幕から泣いた。二幕は号泣。そりゃ、戦時中の健気なタカラジェンヌの話っつったら、誰だって泣くさ。全国ツアーでは地方のおじちゃんおばちゃんが泣くこと間違いなし。笑って泣いて、大満足の、普通〜によくできたお話。

でも、でも。私が一番泣いたのは、彼女らが健気だからじゃないの。リュータンが影山先生を叱る場面なの。

戦争中だからって、娯楽に携わってることを卑下するな。そういうのが今一番大切なんだ。もっと誇りを持て。

うわーん、私も頑張るー。頑張るよー。娯楽なんて不要だって言われても、文化を守るために頑張る。戦争になってもタカラヅカを応援するからー。

…影山先生は作る側で、私は享受するだけの側なんですが^^;)どこかで、自分は娯楽を享受するだけで、それっていけないことかもって思ってたんだ。でも、娯楽を支持してるってだけで、意味があることなんだよね。チケット代数千円を払うことで、一票を投じているんだよね。チャラチャラした服着るのも、反戦活動の一つだってよく美輪明宏が言ってるけど、それと同じ。自由恋愛するのが反体制だった時代があった、それと同じ。人間らしく生きようって主張することは、どんな立場だってできる。

ラスト、もんぺ姿で歌い踊るジェンヌたちを「頭おかしいんじゃ?」と立ち去ろうとする帰還兵、それをオサム少年が呼び止める。ちょっと待って! あれ、面白いから、きれいだから、見て! 私もオサム少年になるぅぅ。いや、もうなってるか。オサム少年のその後みたいに立派な漫画家にはなってないけど、ファンも立派な役割を持ってるんだい。

パンフに大石静が「人々からエンターテイメントが取り上げられることのないように。表現の自由が侵されることのないように。という願いを、この作品の隠れたテーマとして埋め込みました。」って書いてた。まんまと、してやられたわい。

*ネタが多いので、感想は何回かに分けます〜。初見はわたるリュータンの回。豪快でよかった。でも、キャストについては、りかリュータンを観た後に書きまーす。ドキドキ。

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死の泉(銀河劇場 12/5 19:00) [観劇メモ(ヅカ以外)]

studio life 初体験でっす。

話はかなり面白かった。二幕でいきなり15年後に飛ぶんだけど、え?肝心なところがわかんないよ?ってのがジリジリ明らかになるその焦らし具合がなんとも。ナチスにまつわる重い話だけど、引き込まれっぱなした。

ただ、ちらしに書いてあったような、命の意味とか深いところはあんまり伝わってことなかった。悪い人がただマッドサイエンティストだったから、ってふうに感じられてしまって残念。クラウス役を変人に作り過ぎでは。あと、よく考えると「あの人なんのために出て来た?」みたいなことも…。原作読んでみようっと。

それにしても。ヒロインできるほど綺麗な人が一人しかいないのね。美少年ばかりかと思ってたのでびっくり。女役のセリフ回しやしぐさはすごい。でも不細工キャラがほとんど。アイドルっぽくかわいい少年役はいるけど…。この人員配置は吉本新喜劇か!?

男役が特に作り上げられたものでないのも意外。ヅカでは女役も、男役が男役に見えるように高い声を出して、架空の女らしさを作っているのに。

studio lifeって、 『摩利と新吾』とか、『ここはグリーンウッド』とか、『パタリロ』とか、あの頃の少女漫画みたく、男どうしのからみをみるものなのか。だから綺麗な女子は一人で十分。『ここはグリーンウッド』の義理のお姉さんや、『パタリロ』のお母さんか。基本、男のなかから綺麗どころを一人選出。あとは男の子がわやわやいってる。男だけの閉鎖された世界。あんなことやこんなことや。(この話でも、そういう目で見ればそういうふうに見えるカップリングがいくつかあった)で、それを女子が観るわけだ。客席、ヅカ以上に女子ばっかりだし。ヅカは女子校だから、客席も参加する。だからかっこいい男役がたくさん必要。一人じゃ足りない。でもstudio lifeには綺麗な女役はそんなに必要ない。観るのは女だから。

帰り、お見送りがあった。けど、お話ししちゃいけないんだって。額の中(きれいに飾られた机の向こうにいるのでそう見える)に並んだ彼らを、遠巻きに見て帰るだけ。なんじゃこりゃ~。お話して流れが滞留するのが嫌なら、何かおみやげ(ポストカードでも)を渡すとかにすればいいのでは? 

studio life は今度、『百合の伝説』再演するらしいから観てみるかな。映画版が好きなのです。これ、映画でも女性の役を男性がやってたね。

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ベルサイユのばら外伝ベルナール編/ネオ・ダンディズム!III(神奈川県民ホール 11/30 16:30) [観劇メモ]

外伝3作目にしてはじめて! トップ娘役に存在意義があった! 幽霊じゃない、全然関係ないのに無理矢理「私たちって似たものどうしよね」とか言わされたりしない! ちゃんと主人公が恋する相手で、オスカルとの信頼関係を築くのを助けてるし、最後のオチにはちゃんと筋書きに絡んでる! 無意味な登場人物が、すごい少ない気がする!

そんな当たり前のことに驚くなんて、我々がいかに植田作品に耐えてきたか、とゆうことであります。

トウコ(安蘭けい)が、反骨の新聞記者、だけどマザコンのベルナールってのがすごく合ってるし、あすかの小間使い役も合ってる(ピノコ入ってるとこもあったけど)。自分にとってあすか(遠野あすか)は、そりゃ大人の役もいいけど、やっぱりシンデレラのエプロン姿なんだよね。

とはいえ、やっぱり前半の「オスカルが主人公?」的な話運びと、後半の「え? しいちゃん(立樹遥)二役なの!?」(リサーチ不足)と話の展開早すぎるのとに、お目めパチクリ。そもそも冒頭の奥様方の会話は長過ぎるし、幕前芝居多すぎるし、ま、やっぱり植田作品は植田作品なんだよな、と思わざるを得ませんでしたが。

そのうえ、後ろの席のオヤジが「フェルゼンって誰??」ってつぶやいたときには、大爆笑。麻尋アントワネットの底意地の悪そうな笑顔に震撼していたのが、突如笑いの渦に。そりゃ、いきなり、フェルゼンだのアントワネットだのが紗幕の向こうにいてもねえ、ヅカファンじゃなきゃ知らないよねえ。植田ってやっぱり、歌舞伎とかの伝統芸能と同じノリで、「誰でもが知ってる英雄」の話を作ってるつもりなんだろうなあ、って思う。

ネオダンディズムは、ワタルやみらんを見送った印象が強いので(博多座バージョンを生で観てない)、サヨナラ仕様に思えてしまう。だから、オールバイマイセルフで「トウコが辞めちゃうよ〜〜」と思わず号泣。送る側だったときは、歌い上げていたと思うんだけど、今回はまるでつぶやくように、台詞を語るように歌っていたと思うんだ。

ポラリスの代わりに入った「明日へのエナジー」は、生で観るの初めて。映像で観るとなんとも思わなかったけど、生で、しかも歌ウマな人がトップだと、すごい盛り上がるね。

ちなみに、この日のアドリブは「中華街!」でした。まさか、プロローグのかっこいい場面で入ると思わなかったので、すごいウケた。「恋する男はドンキホーテ」ですずみん(涼紫央)が、お客さんのからパンダの棒とパンダ耳つきカチューシャをもらって、ずっとそれを使ってた。すずみんファンで、お手紙で予告してたりしたのかな? いいな〜。

最後の挨拶では、神奈川県出身者を紹介。トウコが「おかえりって言ってあげてください」って言ったので、大きな声で「おかえりー」って言いました。地元で観るヅカは、普段よりずっと楽しく、普段よりずっとこっ恥ずかしいものです。ベルばらだと特にね。「こ、これが私が好きなタカラヅカなんですよ〜」と照れながら見せているような。いや、地元っつっても知らない人ばっかりなんだけどね。

ともみん(夢乃聖夏)が男役ムハムハ顔を開発中なことに気づいた。あかしくん(彩海早矢)、下まぶたのメイク変えた? ますますやる気満々でよろしい。大輝真琴の子役、泣きの演技が良かったな。そして、チャルさん(箙かおる)すごい久しぶりーー。短い場面でたくさん笑いをとってた、さすがチャルさん。もっとチャルさんを観たいよー。

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